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Channel: 教科書・年表・事典 –万年初心者のための世界史ブックガイド
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『改訂版 世界史B用語集 [2008年版]』 (山川出版社) その1

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2002年に買った『世界史B用語集』をこの度8年ぶりに買い換えてみました。

奥付を見ると、「2008年第1版第1刷  2010年第1版第3刷」となっている。

前のやつは「2000年第1版第1刷  2002年第1版第5刷」。

毎年ではなく、教科書の検定ごとに改訂するはずだから、2000年から4年ごとの改訂で今回が2度目といったところか?

まずすぐ気付くのが、装丁について。

自分の高校時代以来、カバー部分が本体から少しはみ出していたのが、今回は本体と同じ大きさに。

次に用語の登場頻度。

すべての教科書のうち、何冊に載っているのかを用語のすぐ後に載せているのが、この本の最大の特徴だが、前回は最大頻度が19だったのだが、今回は11

私の頃の冊数がいくつだったのかは忘れたが、書店で立ち読みしたのを記憶している限り、今回まで減ったのを見た覚えはないので、なぜか物悲しい気分に襲われる。

もっとも世界史教科書が19種類もあるのが「バブル的」かもしれませんが。

あと、最近削除された用語でも解説が必要と思われるものには[参考]として載せてあるのが目に付く。

以下、ざーっと眺めた上で記した適当な感想。

(括弧内は頻度。複数の箇所に載っている場合、最も高い数字を書いているつもりですが見落としがあるかもしれません。「あれっ」と思うほど頻度が低い場合、他の箇所で主に載っている可能性がありますので注意が必要です。)

アッカド人(10)ということは載ってない教科書があるということですか・・・・・・。

ミタンニ(9)フルリ人(2)について、支配層は印欧系としながらも、最近は支配層含め全てフルリ人との説があると書いてあるのは、中公世界史全集『人類の起源と古代オリエント』の記述と同じ。

私の高校時代には聞いたこともなかったが、こういう新しい学説が教科書にも徐々に反映してるんだなと実感。

上記アッカド人と同じく、ハンニバル(10)が載ってない教科書に不安を感じる。

逆にレピドゥス(8)東京書籍の教科書の記事で書いたように、不要の気がしないでもない。

ローマ帝国の「3世紀の危機」(2)という言葉は、教科書レベルではこれまで見た記憶無し(前回の用語集でも収録ゼロ)。

マクシミヌス(1)が軍人皇帝の始めとして載っている。

この人は塩野ローマ史『迷走する帝国』に出てくるマクシミヌス・トラクスのこと。

私の頃の山川『新世界史』には、確か(セプティミウス・)セヴェルス帝の名が載っていたと思うが、今はどの教科書にも載っていない模様。

拓跋国家(1)というのがあって、「何ですか、それは?」と思い説明を見ると、「北魏以来の北朝から、隋・唐にいたる一連の王朝のこと。支配層には拓跋氏出身者が多く、国家の仕組みにも共通点が多かったことからの呼称。」とある。

後漢滅亡から北宋成立まで、この時期の中国史については、門閥貴族が勢威を振るい、皇帝権は弱体で、みたいなことをしっかり頭に入れればいいので、こういう見慣れない用語は無理に載せなくてもいいんじゃないでしょうかと思う(一種類の教科書だけですが)。

オゴタイ・ハン国(8)について、「オゴタイ系の勢力は存在したものの安定した政治勢力とならなかったため、この国は事実上存在しなかったとの説もある」と「ええっ!!」と思うことが解説に書いてある。

こんなこと、杉山正明先生の『大モンゴルの時代』でも読んだ記憶無いですが・・・・・。

(忘れてるだけか・・・・・?いや、しかしやはり覚えは無い。)

(追記:以上やはり杉山氏の説のようです。完全に忘れてますね・・・・・。)

モンゴル人第一主義がたったの(3)(これも杉山先生の影響?)。

でも「タタールの平和」(3)だ。

マテオ・リッチ(11)アダム・シャール(9)フェルビースト(7)ブーヴェ(8)カスティリオーネ(11)と、中国で布教したイエズス会宣教師の頻度がやたら高いのは、私の頃と同じですが、何でなんでしょうね?

「イスラム」がすべて「イスラーム」になっているのが正直鬱陶しい。

ハールーン・アッラシード(10)も満数じゃないのか・・・・・。

サッファール朝(1)の説明で、ターヒル朝(これは頻度ゼロ)から自立して建国したイラン系初のイスラム王朝と書いてあるが、じゃあターヒル朝はイラン系じゃないのか?

どうだったのか忘れた。

イドリース朝(2)ザンギー朝(2)は高校時代全く聞いたことが無かった。

アッティラ(8)って低過ぎませんか?

ユーグ・カペー(8)も。

フランク王国(11)について、「ゲルマン諸国家中、イギリス王国とともに長く存続し」と書かれていて、言われてみれば初歩的過ぎて盲点だが、確かにそう。

他は大抵イスラム、東ローマ、フランクに滅ぼされているので、歴史の継続性から見れば昔から英国はヨーロッパの別格だったことがわかる。

(フランク=フランスではないでしょうが、フランク最初の根拠地としての重要性からするとフランスも。)

神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(2)フリードリヒ2世(3)

これはもっと高くてもいいような・・・・・。

ダンテ(10)ブルボン朝(10)などが満数でないのは理解に苦しむ。

私は文化史について何か言える人間ではないが、ルネサンスの項でティツィアーノが載ってないのには「あれっ」と思った(旧版では頻度3で載ってる)。

タイの現王室、ラタナコーシン朝(チャクリ朝)(7)の別称として「バンコク朝」が載らなくなっている。

これは何か理由があるんだろうか?

その創始者ラーマ1世(1)も昔は「プラヤー・チャクリー」という名が載っていたが、ロン・サヤマナン『タイの歴史』には、確かこれは本名というより一種の称号だというようなことが書いてあった記憶がある(ただしうろ覚え)。

時代を遡って、スコータイ朝のラームカムヘーン(1)王も消滅寸前ですね。

『角川世界史辞典』で同項を引くと、「タイ文字の制定者、理想の統治者として王の功績を記したラームカムヘーン碑文は、最近19世紀の偽作との疑いが出された」と驚くようなことが書かれてあるが、ひょっとしてこうしたことも関係しているのか?

ジギスムント[参考]扱いなので少々驚いたが、前回からすでに載ってなかった。

「金印勅書」のカール4世の息子だし、コンスタンツ公会議を主催したりと、この人結構重要だと思うんですけどね。

マゼランを敗死させたフィリピンの首長ラプラプ(2)が載っているのが目を引く。

近代世界システム(4)再版農奴制(4)社団国家(1)17世紀の危機(6)(環)大西洋革命(4)と、こういう用語も載るようになったんですねえ・・・・・。

「17世紀の危機」なんて半分以上の教科書に載ってるわけですか。

コーヒーハウス(9)なのがやや不可解。

世論形成の場として重要なのは『コーヒーが廻り世界史が廻る』(中公新書)でもわかりますが。

近代以降は次回に続きます。

(追記:続きはこちら→その2



『改訂版 世界史B用語集 [2008年版]』 (山川出版社) その2

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その1の続き。

ハミルトン(1)は低い。

ジェファソンとの対比で知っておくべき人物と思える。

それはまあいいとしても、ワシントン(10)が載っていない教科書は検定を通してはいけない気がします・・・・・。

(初代大統領としてでなく、独立戦争の箇所で頻度10。巻末索引で確認しても同じ。)

フンボルトベルリン大学[参考]扱い。

これには驚いた。

プロイセン・フランス戦争(11)という表記が主、括弧して普仏戦争と書いてある。

前にも書きましたが、この表記法すごく嫌いなんですよ。

ちなみに新聞の見出しで「米露」のことを「米ロ」と書いてあるのもゲンナリします。

ポグロム(2)、ユダヤ人への集団暴行・迫害のこと。

頻度は低いが、これは知っておいた方がいい言葉だと思います。

しかしホロコースト(5)はいかにも低い。

これは一般常識として必ず理解しておくべき言葉でしょう。

1870年代以降の世界的な不況(大不況)(6)、1873年からの、帝国主義の背景をなす不景気だが、高校時代、これは『世界史A・Bの基本演習』(駿台文庫)などの参考書でしか見た覚えが無い。

フランス社会党(統一社会党)(5)は何でこんなに掲載教科書が少ないのか?

と思ったら、別の箇所では(9)だった。

ラサール(2)が1863年全ドイツ労働者協会を結成、ベーベル(2)が1869年マルクス主義的な社会民主労働党(アイゼナハ派)結成、両党が合併して1875年折衷的ゴータ綱領でドイツ社会主義労働者党結成、それが1890年マルクス主義的エルフルト綱領でドイツ社会民主党に改称、と昔はやたら細かい社会主義政党の歴史を教えられたものです。

ロックフェラー(3)カーネギー(1)モルガン(1)ということは、カーネギー・モルガンが載っているのは三省堂教科書のみか。

ウラービー(オラービー)の反乱(9)、もう「アラービー・パシャの反乱」とは一切言わなくなったのか・・・・・。

辛亥革命直後、1912年宋教仁が中心となって結成した国民党(9)

前にも書いたようにこの「最初の方の国民党」の頻度が高いのは相当不可解。

直後の1914年結成された中華革命党なんて(3)ですよ(別の箇所では(4))。

レンテンマルク(7)なのは高い。

しかし関連事項のシュトレーゼマンドーズ案(10)

この二つは全教科書に載せておいた方がいいんじゃないでしょうか。

ブハーリン(1)があって、ジノヴィエフ、カーメネフがないのはバランスに欠けてる気がする。

黄埔軍官学校[参考]なのは如何なもんでしょうか。

これは載せるべきでしょう。

それでいて浙江財閥(11)なのは解せない。

ネヴィル・チェンバレン(11)なのはいいとしてダラディエ(8)

ミュンヘン会談出席者として名前を出さざるを得ないというわけなんでしょうが、その1の記事で書いた第二回三頭政治のレピドゥスと似たようなもんですね。

戦後史の項目を見ていて、「ヴェトナム」がすべて「ベトナム」になっているのに強い違和感(「ベトナム戦争」、「南ベトナム解放民族戦線」、「ベトナム和平協定」等々)。

これはやめてもらえませんかねえ。

キング牧師(11)に驚く。

私が高校生の頃は確かゼロのはず。

ブレジネフ(8)なのはちょっとまずいんじゃないでしょうか。

アンドロポフ(1)チェルネンコ(2)はともかく、米国と並ぶ超大国だったソ連の最高指導者を十数年も務めたわけですから一応全教科書に載せるべき。

逆にその補佐役で首相を務めたコスイギン(3)なんて要らないでしょう。

同時多発テロ(11)ターリバーン(10)イラク戦争(10)

こういうのも教科書に載るようになったんですねえ。

私も歳をとりました。

最後に今回一番驚いたことを。

ニューディール政策のところで、ケインズ(1)となっている。

その時は「ふーん」と思っただけだったが、後ろの方のページにある「現代文明」の「社会科学」の項目を見ると載っていない!!

驚いて巻末の索引を見ても頻度1!!!

これにはひっくり返りそうになった。

どうせ「政治・経済」で教えるからとか、そんな問題ではない。

一般常識として絶対知っておくべき人名のはず。

今の普通の経済ニュースでも「ケインズ政策は有効だ」「無効だ」なんてやってるでしょう。

本当に載ってないんでしょうか?

この用語集に採録してないだけじゃないんですか?

できればそうであって欲しいと思わざるを得ません。

あーだこーだと埒も無いことを書き連ねましたが、社会人でも一冊持っていると便利です。

800円代で買えますし、角川の世界史辞典が高く感じれば、これが簡易辞典として使えます。

なお私は、ここで紹介してるような世界史関係の本を読んだ後、この用語集の関連事項をざーっと眺めるということをよくやるんですが、効率よく史実や年代が確認できてなかなか良いです。

教科書と違って手軽に入手できますから、とりあえず手元に置いておかれたら如何でしょうか。


『もういちど読む山川日本史』 (山川出版社)

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『もういちど読む山川世界史』は紹介済み。

今回これをパラパラと飛ばし読みしてみた。

重要語句が太字になっておらず、その点反ってわかりにくく感じるのは世界史と同じ。

しかしそれ以外では思いの外、好印象をもった。

本文の間に挟まれている補注でこれまでの通説・常識と最新の学説のズレを紹介してくれている部分が実に面白い。

世界史の場合はほとんどの人の予備知識が乏しいので、こういうことは不可能。

この部分を拾い読みするだけでも手に取る価値はあります。

通読を目的とするなら世界史よりはこちらの方が向いてるとも感じます。

なかなかいいんじゃないでしょうか。

『詳説日本史』はやたら細かい記述が多いですから、この簡略版シリーズでは世界史より効用が高い。

気が向いたら買ってもいいでしょう。

ただ社会人がもう一度日本史の基礎を勉強したいと思う場合、最善の入門書は本書よりも小学生向けの学習漫画「日本の歴史」だと思います。

「おいおい・・・・・」と呆れられたり、「馬鹿にすんな!!」と怒られるかもしれませんが、事実そう思える。

近所の公共図書館に行って、「うちの子供に読ませます」みたいな顔をして借りて、家に帰って自分で読んで下さい。

予備知識ゼロの状態から、基礎の基礎を作るためにはそれが一番楽だし、頭にも入る。

個人的には小学館から出てるのがお勧め。

それから本書にじっくり取り組めば良いかと思われます。

なお、世界史の漫画はよく知らないんですよねえ・・・・・。

集英社文庫で漫画版「世界の歴史」が10巻くらいで出てまして以前一部を立ち読みしたことがあったんですが、「うーん」と微妙な感想を持ちました。

このブログは低レベルとは言え、一応高校世界史は大体理解しているという前提での読書案内ですが、「カエサルって何人?」「ビスマルクって何した人?」という方が最初の取っ掛かりとして読むにはいいのかな。


『高等学校 世界史B 改訂版 100テーマで視る世界の歴史』 (清水書院)

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忘れた頃にやってくる高校世界史教科書の記事。

教科書にしては珍しくサブタイトルが付いているが、それが記述形式をよく表わしている。

「秦・漢はどのように中国を統一したのか」「1848年の革命はヨーロッパをどう変えたか」というふうな文章形式の章名になっており、それが100ちょうど集まって本文を形成している。

そして1節がすべて見開き2ページにまとめられているのも大きな特徴。

普通の節の合間に「コラム 民衆の歴史」と題して社会史的記述を挿入している。

あと巻末に「テーマ学習」として「砂漠化と緑化」「世界の飢餓と貧困」「地域紛争中のパレスティナ問題」が三つあっておしまい。

奥付の執筆者名を見ると、大久保桂子さん(中公新版世界史全集『ヨーロッパ近世の開花』の著者)と芝健介さんが聞いたことがあるなあというくらい。

ざっと見たところ、あまり詳しい用語は載っていない。

初学者や苦手な人には向いているかもしれない。

第1章「世界史への招待」および第2章「君たちの時代」は文字通りイントロダクション的な章で、「年の表示はどのようにして決められたのか」「歴史はどんな態度で学べばよいか」など9節。

第3章「地域世界の形成と交流」はおおむね15世紀までの各地域の歴史(ただし中国は唐末10世紀まで)で21節。

第4章「地域世界の変容と世界の一体化」は16世紀からフランス革命まで、20節。

第5章「近代と国民国家」はフランス革命から第一次大戦まで、19節。

第6章「世界戦争の時代」は第一次大戦・戦間期・第二次大戦終結まで、11節。

第7章「現代の世界」は第二次大戦後から現代まで、20節。

以上合計でちょうど100節です。

近現代史で半分以上、7割を占めていることになる。

なお、各節ページの左下スミに世界地図で該当地域に印を付けている工夫が目を引く。

以下、例によって本文を見て適当な感想を書き連ねてみます。

実質最初の章である第3章が、オリエントではなく中国史から始まるのが新鮮。

中国古代文明で黄河流域以外の河姆渡遺跡、良渚遺跡、三星堆遺跡が太字で載せられている。

私が高校生の頃は、全く出てこなかったはずです。

劉備が建てた王朝が蜀ではなく蜀漢と表記されている。

これは今まで教科書では見たことがない。

唐の部分では羈縻政策(周辺異民族に自治を認める政策)が太字。

文化史では茶の作法をまとめた『茶経』も。

何かアンバランスだなあ・・・・・。

アッバース朝カリフの権威を認めない王朝の例として後ウマイヤ朝・ファーティマ朝の他にイドリース朝の名を出しているのも、簡略な教科書にしては唐突感がある。

何を重視するかは執筆者様の判断ですから、素人があれこれ口を挟むことじゃないかもしれませんが、どうも言わずにおれない。

一方、フランク王国カロリング朝で名の出る君主はカール大帝のみ。

カール・マルテルもピピン3世もバッサリ省略。

その前にゲルマン民族大移動のところで、本文中に出てくる部族名はフランクのみ。

神聖ローマ帝国成立も、うっかり見逃すくらい小さな扱い。

中国史は、第3章で扱われるのは唐滅亡までだと上で触れましたが、第4章の該当ページでは、宋の統一と並んで内陸アジアでのトルコ系民族発展を同じ節で述べている。

これはなかなか興味深い。

宋代、都市文化の繁栄を描く『清明上河図』が太字。

かと思えば、モンゴル帝国で出てくる君主はチンギス・ハンとフビライだけ。

言葉は悪いが、中学校の教科書みたいだ。

高麗の文化で、「象嵌青磁」が太字なのに「高麗版大蔵経」がそうじゃない。

わからん・・・・・。

いっその事、どっちも要らないくらいじゃ・・・・・。

続く王朝の名が李朝朝鮮となってる。

「李氏朝鮮」はもう死語なんですかね。

オスマン帝国の各宗教宗派別自治組織「ミッレト」は、この教科書にも載っているということは、もう高校世界史必須用語か?

ムラービト朝とムワッヒド朝が、イスラム史には出てこず、アフリカ史のページに載ってる。

要はエジプト以外はすべてアフリカ史で載せるということらしい。

ガーナ・マリ・ソンガイ・モノモタパという定番の王国名の他、チャド湖周辺に9世紀栄えたカネム王国の名が出ている。

近世ヨーロッパ史でも大胆過ぎる省略が目に付く。

大航海時代の後、ページをめくると近世政治史の節に入る。

ここで何か強い違和感を感じて首を傾げる。

「何だろうなあ」と思って読み進めていくと、ほとんどの教科書で大航海時代のすぐ近くにあるルネサンスの章が無いことに気付いた。

17・18世紀や19世紀のヨーロッパ文化と同じく、ルネサンス文化史も政治・経済史の後にまとめられている構成。

これには相当驚いた。

該当節もスカスカ。

ダンテ・ペトラルカ・ボッカチオ・ブルネレスキが出てこず、ボッティチェリとレオナルド・ダ・ヴィンチは欄外図の説明で名が載ってるだけ、ミケランジェロは別のページのコラムにのみ出てくる。

イスラム文化史でイブン・シーナ、イブン・ルシュド、イブン・バットゥータ、オマル・ハイヤームが出てくるのに、ルネサンス文化史がこれで大丈夫ですかと失礼な感想を抱いてしまう。

政治史も相当なもの。

巻末索引で見たらとにかく基本的王朝名が載っていない。

カペー朝はあるが、ヴァロワ朝・ブルボン朝は無し。

『世界史B用語集』(山川出版社)の記事でダンテとブルボン朝の載っていない教科書というのは本書だった模様。)

プランタジネット朝とテューダー朝があって(テューダーは確か索引には無かったが本文を確認したら有り)、ステュアート朝は無し。

人名ではクロムウェルが本文中には記述無し。

1789~95年間のフランス革命史を見開き2ページで片付けるのは酷いというか凄いというか。

近現代史、朝鮮史のページ、壬午軍乱(太字)、甲申事変(普通)が載っているのはいいが、片方だけ太字にするバランスがよくわからない。

まだ逆の方が理解できる気がする。

イスラム世界での民族運動の節。

19世紀ナショナリズム思想がバルカン地域に流入し、セルビア正教会がオスマン政府だけでなくギリシア正教会へも反発を強めて独自のキリスト教会を中心にした国民国家建設に向かったが、これは宗派別運動だったため、西欧的民族運動とは異なった面を持ったという説明は面白い。

18世紀オスマン帝国で徴税請負制度が広まり、地方有力者アーヤーンが勢力を拡大したとあるが、これもこの本のレベルからするとアンバランスな・・・・・。

北インドのイスラム回帰運動指導者で、シャー・ワリーウッラーが太字になってますが、それ一体誰なんですか???という感じ。

上記リンクの山川出版社用語集では頻度1、この教科書しか載せていない。

何だかなあ・・・・・。

朝鮮の実学大成者、丁若鏞も不可解。

ロシア革命指導党派が、ボリシェヴィキではなくボルシェヴィキ。

何か古さを感じる。

現代史で四次の中東戦争が1節でまとめられているのは、初心者には読みやすくて良い。

しかし他の部分では、例えばド・ゴールによる第五共和政成立と英サッチャー新保守主義政権が同じページに入るような次第なのは、簡略化も度が過ぎるというもの。

コラムは「アヘン」「ペスト」「女性参政権」など興味深い項目がいくつもある。

しかし本文は・・・・・・。

本書だけに頼るのは不安過ぎる。

他の教科書のように、漢字以外の固有名詞にアルファベットの綴りが小さく添えられていないのも欠点。

思い切って内容を絞り込んでいるのが最大の特徴ですが、私にとってはもう一つでした。

あんまり手元に置きたい本ではないです。


水村光男 編著 『新版 世界史のための人名辞典』 (山川出版社)

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1991年初版、2010年新訂版。

編著者以外の名が載っていないが、ひょっとして一人で書いているのか?

だとしたら凄い。

全1914項目。

世界史教科書にある人名はすべて取り上げ、さらにかなりの数を加えたと書いてある。

(ただし日本人名はすべて除外。)

本の厚さからするとかなり粗い内容かなとあまり期待していなかったのだが、目を通していくと、人名のみに項目を絞っている分、相当詳細であり、かなり使える。

説明本文中では、くどいくらい年号を括弧内で注記しているが、これは本書を調べもののつもりで引いた際有益・適切で、とても良いと感じる。

前書きで、これまでの辞典では簡略過ぎて人物像が伝わらないか、浩瀚に過ぎて簡便性に欠くかのどちらかだったが、本書ではその中間を目指したという意味のことが書かれているが、その試みは十分成功している。

ただちょっと気になるところもないではない。

中国皇帝は基本的に廟号(高祖・太宗など)を本項目に立て(諡号[武帝など]で呼ばれるのが慣例になっている皇帝は除外)、明清では「一世一元の制」により元号による名(洪武帝・康熙帝など)で記載という方針。

これがねえ・・・・・・。

巻頭の凡例で読んだときは、「ああ、そうなんですか」と思っただけでしたが、いざ本文を眺めてゆくと・・・・・。

違う王朝の「太祖」が並列して載せられていて、頭の中の整理ができるという面もあるんですが、劉邦や李淵は「高祖」とするより本名で載せた方が良くないですか?

曹操は形式的には皇帝に即位してないので死後贈られた「武帝」ではなく本名で項立て。

一番不自然に思ったのは、劉備が何と「昭烈帝」で載っているのを見たとき。

「昭烈帝」って・・・・・。

三国志演義でもあまり出てこない称号ですよ、これ。

もちろん、「劉備→昭烈帝を見よ」とは書いてますがね。

(ただ五十音順で「昭烈帝」のすぐ後に「諸葛亮」が来るのは、ただの偶然だろうが面白い。)

あと、韓国・朝鮮の人名が、現代史の人物含め、すべて漢字の日本語読みで統一されている。

しかし金正日を「キム・ジョンイル」ではなく「きん・しょうにち」、盧泰愚を「ノ・テウ」ではなく「ろ・たいぐ」で引くのは、今となっては相当な違和感。

私はテレビ・ニュースで全斗煥「ぜん・とかん」が「チョン・ドファン」に変わったのを経験した世代の人間ですが、韓国・北朝鮮建国後の人名はもう日本語読みでは妙な気がしてしまう。

他に特徴はというと、ごく最近の政治家の項目がやたら詳しい。

ブッシュ(子)や盧武弦やシュレーダーなどはともかく、パナマのノリエガ将軍とか、政治家ではない故ダイアナ妃まで相当の紙数を使って載ってる。

加えて現職のオバマ、メドヴェージェフ、李明博、馬英九も長い。

今年4月に墜落事故で死亡したポーランドのカチンスキ大統領のことまで載っている。

(以上は別に悪いとは全然思わないが。)

以下、他に気付いたことを何点か。

ヴェトナム国のバオダイ帝の生没年をたまたま眺めてみると、この人1997年まで生きてたんですねえ。

同じく生没年関連ではアルジェリア独立の指導者で1965年クーデタで失脚したベン・ベラですが、「1918~」という表記なので、まだ生きてるのか。

(追記:2012年4月12日の朝刊に訃報記事が載っていました。享年95歳だそうです。)

広開土王の項、碑文の日本による解読に改竄・歪曲の可能性が高くなってきているという意味のことが書かれているが、私は以前日本軍が取った拓本に疑問が呈されてきたが最近はその説は完全に下火になっているという理解だったのだが、また逆になってきてるんでしょうか?

ちょっとこの辺、よくわからない。

「モルトケ」がいわゆる大モルトケだけで、小モルトケが項立てされていないのは残念。

チョムスキー、デリダ、ソンタグなどの知識人も載っている。

モンロー宣言のジェームズ・モンローの直後、同じくらいの文章量でマリリン・モンローが載っている。

ルイ・ブランが第二帝政崩壊後帰国し、国民議会議員としてパリ・コミューンに反対したなんてことは本書で初めて知った。

かなり良い。

客観的記述だけでなく、著者の個性が相当出た文章で、ややクセを感じる部分もあるが、豊富なエピソードを交えた説明文は大いに有益だし、眺めていると楽しい。

帯に「読む辞典」と書かれているが、宣伝文句に違わぬ出来。

1万4000項目を超えるという『角川世界史辞典』に比べれば、収録数は圧倒的に少ないし、人名しか取り上げられていないが、場合によっては本書の方が使えるのではないか。

これで定価1575円は安い。

買って手元に置いておくのも悪くないんじゃないでしょうか。


『世界史B 新訂版』 (実教出版)

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久しぶりに高校教科書の記事。

たまたま県庁所在地まで出かける用事があったので、ついでに教科書販売所に立ち寄り買いました。

奥付の執筆者を見ると、『フランス革命 歴史における劇薬』(岩波ジュニア新書)の著者である遅塚忠躬氏がまず目に付く。

あと松本宣郎氏は確かギボン『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)の訳者あとがきで協力者として名前が挙げられていた人だったか?

全体的特徴を一言で言うと、詳しいです。

ものすごく。

太字(ゴチック体)になっている用語がやたら多い。

受験という観点からはいいでしょうが、やや消化不良気味になってしまうのではないかという懸念もある。

以下、例によってあれが太字だ、あれが太字じゃない、あれが載ってない、などということを適当に書き連ねます。

古代ギリシアのポリス、テーベがテーバイと表記されている。

エジプト中・新王国首都のテーベと区別するためか。

ただしアテネはアテナイとはなっていない。

シュリーマン、エヴァンズ、ヴェントリス、ローリンソンなど発掘者・解読者の名前も太字。

文化史では抒情詩のサッフォーだけでなく、アナクレオン、ピンダロスも太字。

ローマ史で、カエサルをユリウス・カエサルと氏族名を含めて太字。

451年カルケドン公会議で異端とされた単性説がエジプトのコプト派キリスト教徒の源流であると書いている。

背教者ユリアヌス帝が太字の教科書ははじめて見た。

インド史、マウリヤ朝首都パータリプトラ(現パトナ)は通常活字で、クシャーナ朝首都プルシャプラ(現ペシャーワル)が太字なのはなぜ?

東南アジア最初期の港市国家は「インド化した国家」で、林邑も「中国化」から「インド化」に方向転換し、国名もチャンパーにしたとの記述は面白く、注目に値する。

シャイレーンドラは国名ではなく王家の名であり、スマトラのシュリーヴィジャヤを支配したと書いてある。

それについて、7~8世紀にシュリーヴィジャヤからジャワに進出したという説と、8世紀にジャワからシュリーヴィジャヤに進出したという説を両方紹介している。

たとえ煩雑でも、こうしたことをしっかり述べてくれるのには好感。

北魏・唐の均田制と日本の班田制、および租庸調制の比較図が載っている。

史料集並みの詳しさだ。

同時期、門閥貴族による政界支配に関して、貴族の拒否権行使機関という門下省の役割を明記しているのは渋い。

近代以前のアフリカ、ラテンアメリカ、オセアニアが独立した章で扱われている。

アフリカをイスラム史、ラテンアメリカを大航海時代の章に押し込めるのは、やはりこれからは止めた方がいいでしょうね。

アッバース朝初代カリフ、アブー・アルアッバースは有るが、二代目のマンスールは無し。

ウマイヤ朝創始者のムアーウィヤは大抵の教科書に載っているのに、アッバース朝の両者があまり載っていないのは不思議。

後ウマイヤ朝がカール大帝治下のフランクと対決、フランクは778年イスラム教徒のサラゴサ侵攻を撃退したが9世紀初めバルセロナを奪われた、って細か過ぎますよ・・・・・。

そのイベリア半島にあり、ローマ・イェルサレムと並んで三大巡礼地とされたサンチャゴ・デ・コンポステラが載ってる。

サンチャゴ(サンティアゴ)というと「チリの首都?」としか思い浮かばない人が多いでしょうが、「聖ヤコブ」の意味で、もちろんこちらの方が先に付いたんでしょう。

第3回十字軍の独帝フリードリヒ1世が太字、1282年「シチリアの晩鐘」も。

実在論と唯名論の対立である普遍論争の説明が、わずか2、3行ながら極めてわかりやすい。

コロンブスが出港したパロスという地名を出し、到着したサンサルバドル島を太字にする意味はあるんでしょうか?

またマガリャンイスは慣用でマゼランだけでいいような気が・・・・・。

シーザー→カエサル、ジンギスカン→チンギス・ハンと違って、定着しないですよ、これは。

「近代世界システム」、「中核と周辺」という概念の説明があり、新大陸アメリカだけでなく、東欧も再版農奴制によって「周辺」となったが、ただしアジアは従来の貿易システムを19世紀まで維持したと書いてある。

こういうやや詳しい経済史の記述は良いと思います。

その16世紀以降の東南アジア交易圏にあった「南スラウェシのマカッサル」という国名が太字。

知らんなあ・・・・・。

ルターをかくまったザクセン選帝侯フリードリヒの名前を出すのはいいですが、太字にするのはどうかと・・・・・。

イグナティウス・ロヨラではなく、単にロヨラ。

イグナティウスはファーストネームだから他の人名と同じく省略しても可ということでしょうか?

主権国家の諸段階で、社団国家から国民国家への移行が書かれており、それはいいんですが、この変化が必ずしも肯定的なものでは無かったことを触れて頂けるともっと良かったと思うのですが、それは教科書に望みすぎか。

16世紀を大航海時代およびヨーロッパの膨張と特徴付け、それに対して17世紀は全般的危機の時代と定義。

初心者にとってはこうした大まかな傾向を提示してくれるのはわかりやすい。

フランス革命の意義という節で、社会的不平等を是正しようとする民主主義の理念が以後の世界に大きな影響をおよぼすことになったと認めつつも、社会各層の利害対立から反対派を暴力で排除しようとする恐怖政治が生まれ、それが20世紀のロシア革命でもくり返されたと書いているのは、いかにも遅塚氏らしい含蓄に富んだ叙述だと思いました。

1806年、プロイセンがナポレオンに大敗したイエナの戦いが太字。

これは前年のトラファルガーの海戦、アウステルリッツの戦いと同列に扱うということか。

英国の自由主義改革で、定番の史実の他、1833年ウィルバーフォースらの運動で英植民地での奴隷制が廃止されたことを記している。

1832年第1回選挙法改正でグレイ首相の名前を出すのなら、1846年穀物法廃止時のピール首相も載せて欲しかったところではある。

ドイツ帝国の「外見的立憲主義」に触れていますが、これはあまり断定的に書かないほうが宜しいのではないでしょうか?(ニッパーダイ『ドイツ史を考える』(山川出版社)参照)。

タイのラーマ5世(チュラロンコン大王)は通常活字ではなく太字でいいのでは?

壬午軍乱が太字じゃなく、甲申事変が太字なのは清水書院の教科書と逆ですね。

実質李朝最後の国王である高宗、この人昔は「李太王」なんて書かれてましたが、最近は全くこの表記を見なくなりましたね。

これは日韓併合後に日本が付けた名でしたっけ?

帝国主義時代の「公式帝国」と「非公式帝国」という区別を述べ、後者の例として英国の経済支配下にあったアルゼンチンを挙げている。

そんな用語、はじめて見ました。

1916年、第一次大戦中、アイルランドの対英イースター蜂起が有り。

こんな細かいのよく載せますね・・・・・。

スペイン人民戦線内閣首相のアサーニャが太字。

仏のブルムと違ってこれはやや?マークが付く。

第二次世界大戦の部分では、インド国民会議派の対英協力拒否の「インドを立ち去れ」運動と、アフリカでのケニア・アフリカ人同盟などの運動が載せられているのが目を引く。

戦後史、アフリカ独立の項、省略されがちな、北アフリカのリビア(1951年)、チュニジア・モロッコ・スーダン(56年)に触れている。

カストロだけでなくゲバラも太字。

ゲバラは載せるだけでいいんじゃ・・・・・。

ガーナのエンクルマはともかくギニアのセク・トゥーレが太字なのも同様。

ポルトガル体制変革に伴い、他のアフリカ諸国から大幅に遅れて独立した国として、よく挙げられるアンゴラ、モザンビークだけでなく、かなりマイナーなギニア・ビサウが太字で載せられている。

これも細かい。

それでいて80年独立のジンバブエ、90年ナミビアは普通活字なので、基準がやや不可解と感じる。

1989年就任の米大統領ブッシュの息子で、2001年就任大統領をブッシュJr.と表記。

この親子ねえ。

ファーストネームが同じ「ジョージ」なんですよ。

じゃあミドルネームで区別しようと思ったら、父親が「ハーバート・ウォーカー」で息子が「ウォーカー」ですって。

つまり、ジョージ・H・W・ブッシュとジョージ・W・ブッシュ。

ややこしいんだよ!!!

少し締まらない感じても本書のようにブッシュ・ジュニアと書いた方がいいか。

近現代史で君主以外の政治家が世襲した場合、(慣習的に姓名共に記述する中韓両国以外では)普通の名前に加えてファーストネームを憶える負担が加わるのが面倒ですね。

シリアを長年統治した大統領は「アサド」と憶えておけばよかったのが、今は父親がハフェズ・アサド、息子の現大統領がバッシャール・アサドと記憶しないといけない。

政権崩壊前、世襲が噂されていたエジプトのムバラク大統領ですが、息子が確か「ガマル」だったはずだが、肝心の父親のファーストネームって何だったか?(追記:外務省各国地域情勢で確認したらモハメッド・ホスニと書いてあった。)

エジプトで思い出したが、本書ではサダト大統領はなぜ太字でないのか理解に苦しむ。

エジプトを急進派諸国陣営から穏健派諸国陣営に移行させ、イスラエルと平和条約を結び、中東和平を大きく前進させた大政治家なのに。

ダライ・ラマ14世が太字。

これは、まあ最近よくニュースに出るから適切でしょう。

終わりです。

いつもの通り、全く脈絡無く、埒も無いことをあーだこーだと書きました。

とにかく詳しい。

歴史用語がぎっしり詰まっている。

個人的感覚では、山川の『詳説世界史』東京書籍教科書を上回る詳細さを感じた。

私はこういうタイプの教科書が好きだし、結構楽しめたが、苦手意識を持つ人が読むとアレルギーを起こすかも。

まあ、そういう感じの本です。

ただ、機会があれば手に取ってみるのも悪くないでしょう。


藤原聖子 『教科書の中の宗教  この奇妙な実態』 (岩波新書)

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高校倫理教科書を考察した本。

まず「宗派教育」と「宗教的情操教育」そして「宗教知識教育」の区別から。

これは宗教色の濃い順に並んでおり、ある特定の宗教を信仰する立場からのものが「宗派教育」、宗教一般への理解と敬意を養うためのものが「宗教的情操教育」、純粋に中立的世俗的立場から外面的知識のみを教えるのが「宗教知識教育」。

日本では、戦前の国家神道への反省からくる厳密な政教分離の立場から、文部省が進める「宗教的情操教育」に反対し、「宗教知識教育」のみを行うべきだと主張する学者が多いが、そういう学者が執筆した左派的教科書の中にも、実は無意識のうちに、ある特定の宗教(特にキリスト教と仏教)を優位視する「宗派教育」的記述が紛れ込んでおり、それは国際的に見て、多文化主義的教育のイギリスだけでなく、宗派的なドイツ・トルコ・タイなどの教育と比べても、奇妙で好ましくないものだ、というのが本書の論旨。

まず、教科書の「先哲に学ぶ」という姿勢が、我々日本人に影響を与えた宗教を重視するという傾向を当然生み出し、それがイスラム教の軽視に直結することを指摘。

また、生徒に「正解を与える」というスタイルが、教義の中で一般的道徳を説くのに利用できる部分を切り取って紹介することに繋がり、宗教の全体像は不在で、かなり偏ったイメージが与えられてしまうとしている。

例えば、仏教では「不殺生戒」「慈悲」が教えられ、キリスト教は「愛」の宗教であると説かれる。

仏教では「縁起」、キリスト教では神との「契約」そして「裁き」という概念も同様に重要なはずなのだが、結果としてある特定のイメージがそれぞれの教えについて強調されることになってしまっている。

仏教の「一切衆生悉有仏性」という教義から自然保護の重要性が導き出されることも多いが、これもイメージ先行の気があるとされている。

仏教の宗派教育が行われているタイの教科書でもその手の記述はあるが、それはむしろ「中道」の概念から行き過ぎた経済開発主義を批判するという経路をとっているという。

さらに、西洋による非西洋世界への偏見であるオリエンタリズムを批判する記述のある教科書が、ヒンドゥー教のページでは定番の如くガンジス川の沐浴写真を載せるのは矛盾してはいないか、「キリスト教=祈り、仏教=哲理」という対比は単純過ぎないか、フェミニズムについてのコラムのある教科書がマリア像と瞑想する座禅者の写真を載せ、受動的な女性と自立的な男性というジェンダーバイアスに鈍感と思えるのは如何なものか、と畳み掛ける。

また、仏教では上述の「一切衆生悉有仏性」だけが強調されるが、「因果応報」「畜生道(六道輪廻)」という全く異なる印象を与える教義はどこへ行ったのか、と疑問を投げかける。

「一切衆生悉有仏性」を根拠に、「キリスト教は愛の宗教だがそれは人間中心主義であり、動植物などの自然にも配慮する仏教の方がより優れている」というイメージが密かに教科書に紛れ込んでいるとしている。

そして、実に面白いのが以下の文章。

教科書がキリスト教と仏教の間に優劣をつけていることなどは、まだ序の口である。より顕著な序列化は、ユダヤ教とキリスト教、ヒンドゥー教と仏教の説明において現れている。倫理教科書では、ユダヤ教とヒンドゥー教は、それぞれキリスト教と仏教の単なる準備段階という位置づけである。・・・・・・話の流れとして、それらは宗教として足りないところがあったり、社会に害をなしたりしていたので、イエスとブッダが救世主として登場し、新しい教えを説いたのだとなっているからである。イエスやブッダを偉大な先哲として描こうとすればするほど、相対的にユダヤ教とヒンドゥー教は貶められるというしくみである。・・・・・・これらを読んだ高校生は、ユダヤ教やヒンドゥー教はひどい宗教だなあと思うことだろう。

あまりに的を射ているんで、書き写しながらニヤニヤ笑ってしまいましたが、いや確かにこういうイメージありますよね。

ユダヤ教と聞くと、反射的に「選民思想」を思い浮かべ、一神教という厳しく崇高な信仰を「発明」したものの自民族のみの救いを追い求めたユダヤ教に対して、イエスはそれをベースに「万人への愛」という素晴らしい教えを説いた、一方「依怙地な」ユダヤ人は以後迫害される道を歩む、という単純なストーリーをついつい受け入れてしまう。

インド史で言うと、カースト(ヴァルナ)による差別の上に立った「悪い宗教」であるバラモン教が人々を苦しめていたが、その抑圧に抗してガウタマ・シッダールタが人間の平等を説く「良い宗教」である仏教を啓き信者を増やすが、「悪い宗教」を完全に駆逐することはできず、そのうちイスラム教が侵入してきて(これは信者間の平等を説くのだから一応は「良い宗教」だ)、これで「悪い宗教」が消滅すればよかったのに、ヒンドゥー教は「卑怯にも」仏教の一部を自己の教義体系に吸収して生き残り、逆に「良い宗教」である仏教の方がインドから消滅してしまった、そして残念至極にも現在に至るまでカースト差別が残り、今もインドはその負債に苦しんでいる、というのが中学・高校の倫理・世界史教育からほとんどの人が受ける通俗的イメージでしょう。

もちろんこうした面も確かにあるんでしょうし、だからこそアンベドカルによる仏教改宗運動も生まれたんでしょうが、しかし仮にも千数百年にわたって十数億(本書によれば現在は9億3500万人)の信者の生き方の基準となってきた外国の伝統宗教について、中等教育の段階でここまで一方的でネガティブなイメージを刷り込むのはちょっとどうなのかと正直思います。

このブログで中公新版世界史全集の山崎元一『古代インドの文明と社会』を絶賛した理由の一部は、こうしたヒンドゥー教への否定的イメージをかなりの程度相対化してくれるから。

「神道は形式的清浄さのみを重視する、内的倫理観の無い、ハリボテみたいな宗教だ」と、もし外国の教科書に書いてあったら、これも1%の根拠も無い、たとえ表面的にでもほんのわずかに当たっている部分も一切無いとは言い切れないものの、やはり私は不愉快で嫌な気分になりますよ。

本書によれば、そもそもユダヤ教において「律法主義」と「選民思想」のみを強調するのは不当であり、バラモン教についてはその名称自体が不適切だとして、最近では「ヴェーダの宗教」等の表記が採用されることが多いそうです。

(バラモンという人間を崇拝するような印象を与えること、またそこから差別的で一神教より格下の宗教だという隠された意味を持ちかねないからだとのこと。)

こうした「勝利主義」「置換主義」(役割を終えた宗教が退場し、より良い宗教が勝利するという見方)的説明への反省が必要だとし、「民族宗教」および「世界宗教」という図式も一面的過ぎると指摘。

「勝利主義」史観は仏教内部でも見られ、「慈悲」という教義を中心化し、それがブッダの教えの核心であったと後世から遡及させる立場から、「自己のみの救いを求める小乗(上座部)仏教」に対する、「万人の救済を目指す大乗仏教」の優位が導かれ、日本仏教内部でも浄土教→浄土宗→浄土真宗という序列が暗黙のうちに立てられることになってしまう。

ここから話はイスラム関係になり、教科書でのイスラム記述分量の少なさを述べ、それはよくある平凡な指摘だが、その内容について盲点となって普段我々が意識しないことをはっきり思い知らせてくれているのは、非常に有益で興味深い。

・・・・・・イスラムは、キリスト教や仏教ほど「思想」という面から語られていない。かわりに、礼拝や巡礼といった一般信者の宗教的行為は必ず入っている。逆に、キリスト教・仏教の説明では、一般信者の宗教生活についてはほとんど言及がない。これは、信仰を行為によって表すことを重視する、イスラムという宗教の特性による面もあるが、一見すると、イスラムだけ哲学的な要素がなく、体を動かしているだけのようにみえてしまうのである。・・・・・・キリスト教については愛、仏教については苦からの解放や慈悲という特徴が積極的に評価されているのに対し、イスラムについては、神にひたすら服従するという面や信者に数々の義務が課されているという面ばかりがやたらと強調されているのである。これでは、日本の高校生たちは、なぜわざわざこのような宗教の信者になる人たちがいるのか、さっぱりわからないのではないか。・・・・・・

あまりに面白くて、以上の文章にも、吹き出しそうになった。

さらにいえば、キリスト教については、イエスや使徒パウロに続き、アウグスティヌスやトマス・アクィナスといった神学者・哲学者が肖像画つきで紹介されるのだが、イスラムの節には、どの教科書でも、神学者・哲学者が出てこない。図版もカーバ神殿の巡礼風景などである。・・・・・・イスラムには偉大な思想家はおらず、信者は戒律を守るだけ、といわんばかりである。

倫理ではなく、世界史教科書では、もちろんイブン・シーナーなどの名が出てくるが、確かに馴染みはないし、その思想の極めて大雑把な概略も思い浮かばない。

こうした偏りを含む記述が生まれる原因と海外での宗教教育をめぐる論争と試行錯誤を記述し、宗教学習についての著者の提案を述べる。

その中では、英国の例と、著者が教科書用に書いたコラム(ボツになったものが多いが)が興味深い。

結論としては、倫理教科書の哲学史・思想史の中に各宗教の説明を入れ込むと世界史・日本史教科書と大差が無くなる、それより宗教と倫理の相克、諸宗教の現在の姿、世俗社会との対立などの問題点を扱うべきとしている。

非常に面白い。

著者が意図してのものかはわからないが、所々、何とも言えないユーモアがあって、思わず笑ってしまう。

これは読む価値が有る。

是非お勧めします。


『改訂版 詳説日本史B  [2010年版]』 (山川出版社)

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2003年刊行版を買い換えました。

事情により最新版ではなく、少し前に出たものになりましたが。

この『詳説日本史』シリーズで、特徴のある表紙の赤色が、2003年版に比べてやや濃くなってる。

高校の頃、使用していた版はもっと毒々しいくらい真っ赤のやつでした。

末尾の執筆者一覧を眺めると、何と言ってもまず加藤陽子氏(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』)と坂野潤治氏(『日本政治「失敗」の研究』等)が目に付く。

(もっとも確認したら、坂野氏は2003年版でも執筆者に名を連ねてますね。)

あと、鈴木淳氏は『維新の構想と展開』の著者か(たぶん同名異人ではないはずです)。

冒頭、長屋王の変を題材に、史料の批判と考察をしたコラムがあって、これが相当面白い。

こういうの、読み飛ばさない方がいいですね。

本文に入るが、やはり私のレベルでは、歴史観や史的解釈にまでは踏み込む能力は全く無いので、世界史教科書の記事と同じく、どういう歴史用語が載せられているのか、そのうちどれが太字(ゴチック体)で記されているのかという話だけを少しするだけにします。

ざっと見て、すぐ気付くのが、太字の歴史用語の数が著しく減少していること。

前版までは脚注の箇所を含めて、相当数の太字表示がありましたが、かえって何が重要かわかりづらくなったという反省からか、この版では大幅減。

例を挙げると、『魏志』倭人伝、中臣鎌足、中大兄皇子(天智天皇は太字)、嵯峨天皇、紫式部、源義経、新田義貞、徳川家斉、吉田松陰、黒田清隆、加藤高明、岸信介、池田勇人、佐藤栄作が、太字ではない通常活字。

聖徳太子が括弧内に入れられ太字でない(厩戸王は太字)。

和同開珎に先駆け富本銭が載っている。

以上2点は新たな発見や研究動向が教科書にも反映されたということでしょう。

薬子の変より平城太上天皇の変という言葉が先に出ている。

1457年コシャマインの蜂起、1669年シャクシャインの戦い、といった具合に、それぞれ「~の乱」という表記は使用せず。

アイヌ民族への配慮と国民統合維持の観点から、こういうことには最大限慎重であらなければならないのはわかるが、「乱」と使っても、別に鎮圧された側が道義的に劣等だというニュアンスはほとんど無いと思うのですが・・・・・・。

もちろん、その鎮圧を「征伐」と書くのはまずいでしょうが。

(これより前の坂上田村麻呂の東北遠征を「蝦夷征討」と呼んでいいのか、[個人的感情が整理できず]微妙で判断に迷う)。

与謝蕪村、小林一茶がそれぞれ、蕪村、一茶と略されてるのは、何か理由があるんでしょうか?

生類憐みの令に関連して、服忌(ぶっき)令を出し、武力で相手を殺傷して自身の上昇をはかる価値観を否定することを目的としていたとの肯定的側面を記述しているのは、教科書レベルを超えた説明で面白いと思った。

新井白石が創設した閑院宮家が太字なのは、私が高校生だったころから不思議に思ってました。

皇室の分家の一つを、この時期たまたま設けたというだけでしょと考えていたんですが、別の本で皇室系図を確認したところ、後桃園天皇までいった後、閑院宮系統の光格天皇が即位、以後は仁孝→孝明→明治→大正→昭和→今上と現皇室に一直線で繋がることを確認して、ああそれで太字なのかと納得。

これを説明して下さいよ。

でないと重要性がわからない。

幕末に日本に来航したロシア人4人、ラクスマン・レザノフ・ゴローウニン・プチャーチンの全員が太字。

最初に記した太字でない人名と比較すると、何かアンバランスな印象を禁じえない。

第2次日韓協約で設置された機関は、「統監府」が正式名称で、やはり「韓国統監府」ではないようです。

1885年内閣職権、1889年内閣官制、1907年公式令は影も形も無し。

この三つの法令による、首相権限の推移(それぞれ大→小→大[ただし公式令の意図は完全には実現できず])は、中等段階での日本史教育における重要テーマだと考えるようになっているので、少しでも載せて頂けないでしょうか。

大逆事件について、どれほど稚拙なものであっても実際に爆弾を作成し明治天皇暗殺を企てた人物はいた、しかし事件はフレームアップされ無関係の人々も多くが犠牲となったのであって、明治日本の汚点の一つだという評価は揺るがない、ということが短い脚注の文章からでも読み取れるようになっているのは、非常に良いと思いました。

終わりです。

私の知識では教科書の記述の全般的評価は不可能です。

しかし、ごく基礎的な知的道具として、この標準的教科書を自宅に常備しておくのは決して悪くないと思います。



『改訂版 日本史B用語集 (A併記) [2009年版]』 (山川出版社)

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これを買ったのは高校以来初めてか。

世界史の同種用語集は、常に手元に置いていましたが。

古書店の100円コーナーにあったんで、購入しました。

前近代では、日本史B教科書11種類のうちの記載頻度、近現代はB11種と日本史A教科書7種の頻度を併記している。

この記事では、適当に目に付いたものを、ごく少数取り上げるだけにします。

まず古代史で、磐井の乱(10)はともかく、白村江の戦い(10)も、全種には載っていないというのはどうかと。

中学レベルの用語ですんで。

一方奥州藤原氏の清衡・基衡・秀衡がすべて(11)。

摂関家の「中弛み期」みたいな時平が(10)、忠平が(7)。

これは多いのか少ないのか判断に迷う。

荘園整理令では、延喜が(8)、延久が(9)、記録荘園券契所が(10)。

高校の日本史なら、これらは(11)でもおかしくない。

北条高時、足利直義、高師直、武田信玄、上杉謙信がすべて(10)。

同じ教科書ではないのかもしれないが、これらが載ってない教科書というのはどんな感じなんだろう。

豊臣秀吉の惣無事令が満数の(11)。

これ、私が高校生の頃は、載ってなかったような気がします。

比較的新しい学説に基づくもののはず。

最近は、またそれに対する疑問が出されてると、どこかで読んだ覚えがあります。

日蓮宗の不受不施派が(4)。

これは少ない。

隠れキリシタンと並んで、江戸時代の宗教弾圧の標的となった宗派として有名なはず。

慶安の触書(7)には、この存在を疑問視する説もあると明記。

最近よく言われる説ですよね。

琉球王国の第一尚王朝と第二尚王朝が各(1)。

恥ずかしながら、私は尚王朝が二つに分けられることを、この本見るまで知りませんでした。

近代に入ると、征韓論(B9・A6)、張作霖爆殺事件(8・5)など、中学レベルの用語が満数でないのは、理解に苦しむ。

華北分離工作(8・3)や冀東地区防共自治政府(5・2)も少ない。

戦前日本の破滅の引き金になった事象ですし、これはしっかり教室で教えるべきでは・・・・・。

内閣職権、内閣官制、公式令、軍令は索引を見ても記載無し。

(軍令機関、軍令部はある。)

載ってる教科書はゼロですか・・・・・。

前回記事で書いた通り、これらも、その意味合いを含め、確実に記憶しておくべき用語だと思うのですが。

「学習指導要領」を改正してもらえませんか。

戦後史で、ケナンが(2)なのは、「おっ」と思った。

面倒なので、これだけにしておきます。

世界史だけでなく、日本史もやはりこれを1冊置いておくのはいいですね。

ちょっと暇な時にパラパラ眺めるだけでもいい。

しかし、すごい情報量だなあと改めて思う。

私はやはり世界史の方が性に合ってます。


児玉幸多 編 『日本史年表・地図』 (吉川弘文館)

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これも、同じ出版社の世界史版は以前から持っていた。

こういう高校の副読本タイプの本は、どれでも自分が気に入ったものを1冊手元に置いておけばいいので、特にこの本が、ということは本来ありません。

本書は、世界史版と同じく、表記やフォントに古さを感じる。

地図では、詳細な近世大名分布図など興味深いものはあるが、それだけで本書を選ぶほどでもない。

しかし、年表編と地図編の間に史料集があり、そこに数ページの「系図」が掲げられている。

これが特筆大書すべき出来。

じっくり眺めてると、本当に面白い。

まず皇室系図。

壬申の乱で倒された弘文天皇(大友皇子)の曾孫が漢詩人の淡海三船。

薬子の乱で廃された平城太上天皇の孫が在原業平。

藤原仲麻呂の乱で、孝謙太上天皇に廃された淳仁天皇は、『日本書紀』編者の舎人親王の子。

現皇室は、新井白石が創設した閑院宮系統。

藤原氏系図はさすがに壮大。

系統がかなり怪しく、ただ言い伝えとして何々から出たというだけの家もあるんでしょうが、それを踏まえた上で見れば、非常に面白く読める。

藤原不比等の四子のうち、武智麿の南家系統からは、(鎌倉御家人?の)伊東氏が出る。

やはり後述の北家に比べるとパッとしない印象だが、平治の乱で自殺した信西(藤原通憲)が武智麿の子孫。

この人、保元・平治の乱での、(北家)摂関家内部での争いの系図では出てこないのに、いきなり名前が挙げられているので、どういうことなのかと思ってましたが、南家系統でしたか。

で、その孫が貞慶(解脱)と表記されてるんですが、これは鎌倉新仏教に対抗して、旧仏教の法相宗の再興に尽くした人として教科書に載ってる人と同一人物ですよね?

房前の北家はさすがにすごい。

一番栄えたのは房前の子真楯の系統。

まず、冬嗣・良房・基経という摂関家の源流である超大物がいる。

叔父良房の養子に入る前の基経からみて、藤原純友は、甥の息子という立場。

こんなに摂関家に近い立場なのに、乱を起こしたのかと意外に思った。

これも怪しいのかもしれませんが、純友から九州戦国大名の有馬氏・大村氏が出ている。

冬嗣の兄弟、真夏は日野家に繋がる。

足利義政の妻、日野富子が一番有名だが、義満・義持・義教・義視・義尚など、多くの室町将軍の妻も日野家出身。

で、もう一つ、極めて重要なのは浄土真宗開祖親鸞もこの日野家出身だということ。

以後、蓮如を経て顕如、大谷派・本願寺派の分立といった具合になる。

良房の兄弟良門の5代後が紫式部。

面白いのが、同じ系統から徳川譜代大名の井伊氏が出ている。

上杉氏も同じくそう。

房前の子魚名からは富樫氏、安達氏、伊達氏。

同じ魚名の4代後が秀郷、その秀郷から奥州藤原氏、大友氏、武藤氏、少弐氏、結城氏。

西行は同系統の佐藤氏出身。

房前の子で、道鏡追放に後述の藤原百川と共に貢献した永手、および遣唐使を務めた清河がそれぞれ載っていないのは、やや不備があるなと感じた。

式家の宇合の子が広嗣・百川、孫が種継、その子が薬子。

しかし、徳政論争で有名な藤原緒嗣が百川の子だと記していないのは不親切。

京家の麻呂は、特に無し。

物部氏では、守屋の6代後が石上宅嗣になっている。

小野妹子の5代後が篁、その孫が好古と道風。

橘諸兄と光明皇后は異父兄弟、奈良麿の孫が逸勢。

怪しすぎるが、楠木正成も橘氏から出たことになっている。

清少納言と奥州豪族清原氏も元は同じ一族。

大江氏から毛利氏・小早川氏・吉川氏が出る。

以後も、桓武平氏・清和源氏・宇多源氏・村上源氏などについて、いろいろ面白い系図があります。

他に気に入ったものがあれば、それを選んで頂ければいいんですが、この系図があることによって本書をお勧めする気になりました。

比較的入手しやすいと思いますので、一度どんなもんかご覧下さい。


神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編 『世界史をどう教えるか  歴史学の進展と教科書』 (山川出版社)

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著者名欄が今までで一番長いですね(たぶん)。

2008年刊。

高校世界史の先生が、近年の歴史学の研究動向によって教科内容が変化した事例を、分野ごとに挙げていく本。

古代オリエント、古代ギリシア・ローマ、インド・東南アジア、東アジア・内陸アジア、イスラーム、ヨーロッパ中世、ヨーロッパ近世、ヨーロッパ近代、アジア近代、20世紀の歴史、の全10章。

 

 

 

「はじめに」で全体の概観。

(1)マルクス主義的発展段階論の失効。

古代・中世・近代などの語句は、古代オリエント、中世ヨーロッパなど地域限定で用いられるのみ。

この時代区分を世界のあらゆる地域に適用することはもはやなくなった。

ヨーロッパ史の区分を普遍的に適用はできない。

(2)政治史中心から社会史重視へ。

(3)国民国家の相対化。

一国史記述への反省。

(4)「人種」概念の有効性失効。

 

 

 

1.古代オリエント史。

オリエント史の範囲が拡大。

エーゲ文明やパルティア、ササン朝も含めるようになった。

ただし元の構成に戻った教科書もあり。

ヒッタイトの製鉄術発明は、製鉄自体の遺跡は見つかっておらず、鉄製品も少なすぎるので、疑問視する意見もあり。

ペルシア湾古代の海岸線は内陸部に入り組み、ウル・ウルク・ラガシュなどは海に近く、それが土砂の堆積で変化したとされてきたが、実際には現在と同じではないかという説。

支流や沼沢・湖を通じてペルシア湾と連絡していた。

シュメールよりシュメル、スメルの方がアッカド語原音に近いが、日本の国粋主義者が「スメラミコト」とこじつけないように戦前のオリエント学者があえてシュメールとしたとの伝聞あり。

シュメール滅亡は、アッカド人による征服の他、土壌の塩化による内部崩壊の要因もあり。

オリエント王は神官王(プリースト・キング)でエジプト王ファラオは現人神(ゴッド・キング)との説は現在では否定され、王権はエジプトでも神的で永遠だが、王個人は神に従属する存在とされていた。

ピラミッドはヘロドトスが墓としているのが広まったが、「王の権威や権力を象徴するもの」という書き方で、墓とする表現は教科書に見られなくなっている。

一種の神殿とも取れるが、墓の定義次第か。

世界帝国前のアッシリアの扱いが増えた。

前二千年紀初頭建国、ミタンニに服属。

メソポタミアの内、北部はアッシリア、南部はバビロニア、双方ともセム系アッカド語、諸方言としてアッシリア語があるが、古バビロニア語はハンムラビ法典などの史料が多く、結果アッシリアよりバビロニアを優位視する史観が成立。

最高神アッシュル(土地の神格化)が一貫して地位を占めるが、これがアッシリア国家長寿の理由か。

オリエント世界の共通語がアッカド語からアラム語に変わる。

統一アッシリアはこの変化に適合し、現地語主義や異文化理解を進め、通説とは異なり、残酷・抑圧的支配ではない、むしろ新バビロニアの方がそう言える。

アッシリア滅亡後の四国対立時代、リディアはアッシリア最大版図の外にあり、アッシリアから独立したのではない。

インド・ヨーロッパ語族の移動の意義を強調し過ぎるのは、恣意的・イデオロギー的で、はっきり言えばナチ時代の影響すら見られる。

アケメネス、ダレイオスはギリシア語だが、ハカーマニシュ、ダーラヤワウはいくら原語発音主義が進んでも、定着しないですね。

ギリシアは自由で個人尊重、ペルシアは専制主義で悪という決め付けは教育現場ではなくなったかと思うと書かれているが、いやーなくなってませんよ。

 

 

 

2.古代ギリシア・ローマ史

バナール『黒いアテナ』=古代ギリシアに対して黒人系エジプト文明とセム系フェニキア文明が決定的影響を与えたという説だが、批判も多い。

ミケーネ文明はドーリア人や「海の民」侵入によるものではない。

「海の民」はペリシテ人としてパレスチナに定住。

ギリシアへの侵入者ではなく、内部崩壊したギリシアから流出した集団が「海の民」。

ポリス以外に諸集落がゆるやかな枠組形成した国家=エトノスが存在。

ポリスがギリシア史の全てではない。

ポリスは都市国家というより、領域を持たない、市民団こそがポリスの実体。

アルファベットは商業上の必要ではなく、ホメロスの作品を固定化するためという説が有力。

集住(シノイキスモス)があったのか疑問視される。

その史料となった前4世紀アリストテレス、後1世紀プルタルコスが、250年前・600年前の社会について的確に理解できたか疑問。

僭主政=民衆の支持を得て非合法に政権奪取したものとされるが、最近では貴族間の激化した抗争を収拾する為に生まれたとの説がある。

衆愚政治とはバイアスのある表現だと書かれているが、しかしこれ自体現代的偏見では?

ヘレニズム時代のギリシア化は過大視されている、ドロイゼンの主張自体、帝国主義時代の思潮を背景にしていた。

ローマ帝国主義論争=必ずしも防衛的帝国主義とは言えないローマの膨張、指導層の軍事的成功への志向と平民の経済的利益への期待、同盟国との結合強化と親ローマ的指導者との利害一致。

「小さな政府」のローマ帝国=地方行政への委託、軍隊による行政代行。

帝国の急激な没落という伝統的説に対する「古代末期」説=200年~7世紀まで、新たな文化、思考様式、心性、社会規範が形成された時代。

ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ』の影響。

ピレンヌ・テーゼ=西ローマ帝国崩壊ではなくイスラム進出が地中海経済の衰退をもたらし、中世世界を形成した。

後期帝政においても都市は没落せず、地中海世界の一体性保持、フランクもローマの制度・人脈利用、476年西ローマ滅亡は当時の人々の意識では東帝国ゼノン帝による帝国再統一に過ぎず。

クローヴィスらゲルマン諸王も東ローマより称号・官職を授かり、東ローマ皇帝名で貨幣鋳造。

ユスティニアヌス帝の征服がむしろ国土荒廃をもたらす。

アラブ人征服後も実際は地中海交易は消滅せず、ローマはイスラムが継承、価値が低下したヨーロッパは無視され、直接支配されず。

 

 

 

3.インド・東南アジア史

カースト制について。

英統治下で一元的法制度導入、その中で利益関係から様々なジャーティが属するヴァルナを自己決定、例えば純粋なクシャトリヤは消滅していたはずなのに、カースト単位でクシャトリヤを名乗るような例あり。

(不可触民を除いて)ヴァルナは実際には出生では決定されず。

カースト制が古代からずっと同じ形で続いてきたのではない。

現代インドはカーストよりも学歴格差などが顕著で都市中間層が欧米的生活を営む多様な民主主義国家となっている。

ヒンドゥー教は一つの宗教というより、日本人の宗教意識全般のようなもので、仏教とヒンドゥー教の対立はあまり強調されなくなった。

南インドの重要性=「海の道」から。

大航海時代も、元々重要だった「海の道」にヨーロッパ勢力が加わっただけ。

東南アジアで、辺境・周辺ではなく海洋交易の中心として繁栄した港市国家。

以前はマルクス主義的な生産力重視論、消費軽視の観点から、主要農産物ではなく嗜好品を産する東南アジア軽視傾向があったが、しかしそれを支配したオランダが覇権を握った意味は重い。

英蘭戦争も、その後の名誉革命による同君連合まで考えれば、オランダの敗北とまで言えず、北米ニューアムステルダム喪失は重要な砂糖生産地南米スリナム獲得で埋め合わされ、日本貿易も独占している。

最近の教科書では東南アジアの現状中心に教える観点から、アンコール・ワット、ボロブドゥール遺跡に代表されるような古代文明の記述は少ない。

これは植民地をベースに現在の国家が形成されたことからしてやむを得ない。

主要農作物生産が貧弱なゆえに植民地されたのではなく、商品作物が豊かだったからこそ植民地化されるのが早かった、と解釈すべき。

 

 

 

4.東アジア・内陸アジア史

黄河文明ではなく中国文明という呼び方が増えているが、長江文明という語は定着せず、別な文明起源一元論に陥る危険あり。

夏王朝は王権形成期、中国ではすでに最初の王朝と認められているが、殷の甲骨文字のような同時代文字史料によって論証されるべき。

ウルス=人間のかたまり、「国」ではない。

遊牧民連合体が指導者の出身集団の名をとって、例えば「モンゴル」とされる。

匈奴がトルコ系かモンゴル系かという議論に大きな意味はない。

教科書から「オゴタイ・ハン国」が消えた。

遊牧ウルスを持ち、領域内の都市を含めて支配した王家の当主の存在をもって、「ハン国」とされる。

ハイドゥとその子チャパル支配地域がオゴタイ・ハン国とされたが、オゴタイ家は内陸部で遊牧生活を送り、都市支配権は大カアンが持っていた時期があり、その後反乱を起したハイドゥが都市も掌握したが、史料上は「ハイドゥの国」でありオゴタイ・ハン国ではない。

チャパル時代にチャガタイ家に領域を奪われ、チャガタイ・ハン国成立。

つまり、オゴタイ、チャガタイ両ハン国が並立したのではなく、「ハイドゥの国」が滅ぼされチャガタイ・ハン国に取って替わられたということ。

モンゴル人第一主義も、蒙古・色目・漢人・南人の四人種区分も実態に即さないとして消えつつある。

明清史を従来の中国史内部のみの枠組で捉えるのではなく、外部世界とくに海を通じた交流と冊封関係を重視する見方が増える。

 

 

 

5.イスラーム史

キリスト教・仏教は「先進的・柔軟・寛大・自由・平和的・弱者保護・理解し易い」、イスラムは「後進的・厳格・異質な考えを認めない・結束力が強い・奇妙・不自由・攻撃的・えたいが知れない・理解しにくい」イメージ。

『教科書の中の宗教』参照。

表記の変化。

マホメット⇒ムハンマド、イスラム⇒イスラーム、アウランゼーブ⇒アウラングゼーブ、スレイマーン1世⇒スレイマン1世。

アラビア語が普遍語であるから、コーランもクルアーンに、メッカもマッカにいずれ書き改めるべき。

しかしインドネシアのサレカット・イスラームは現地発音ではイスラムに近い。

必要以上に神経質になったり、末梢的知識に振り回されないようにもするべき。

かなり以前からオスマン・トルコはオスマン帝国に変えられている。

支配層はトルコ系に限られず、トルコ人=アナトリアの農民を蔑んで呼ぶ呼称でもあったので。

さらに古い言い方でイスラム帝国全体をサラセン帝国と呼ぶこともあった。

これもアブラハム(イブラヒム)の妻サラ、アラビア半島の地名サラカ、東方を意味するペルシア語シャルクなど語源には諸説あるが、不明。

ヨーロッパからイスラムを指す侮蔑的表現なので現在はほとんど使われず。

スルタン=カリフ制は、さすがにかなり前から教科書では留保付きで載るだけになっている。

オスマン朝はカリフ承認を必要としておらず、むしろ二大聖地保護権の方が重要。

しかし19世紀衰退期に入るとオスマン朝自身がそれを主張するようになる。

 

 

 

6.ヨーロッパ中世史

教科書表記の変化、ゲルマン民族、ゴート族⇒ゲルマン人、ゴート人。

商業・社会・生活上の用語が多く。

ピレンヌ・テーゼ=ローマ崩壊ではなくイスラム進出が契機となって中世封建社会が成立した、その後、ヴァイキングが欧州の外側(大西洋・地中海・東欧)を囲み、11世紀に商業の復活。

一方、この見方への訂正の動きもあり。

イスラム以前のメロヴィング朝での関税収入が過大評価されているのではないか、イスラム進出後もヨーロッパの通商は阻害されていないのではないか、カロリング朝でも地中海貿易は盛んで、当時の金貨から銀貨への移行も貿易減少によるものではないのではないか、等。

教科書ではピレンヌに倣ってカロリング期を中世の開始期とする記述もあるが、多くはこの時代を「分水嶺」とはしていない。

ユダヤ人、スラヴ人、スカンジナビア人による西北ヨーロッパとイスラム圏との通商ルートという、今まであまり注目されていなかった経済的繋がりもあり。

ピレンヌ・テーゼは経済史的には否定されたが、文化的文明史的にヨーロッパ中心主義を克服した功績あり、中世成立にはイスラム、ビザンツ、ノルマンという外的要素が不可欠だった。

11世紀中世盛期、ヨーロッパだけでなく、中央ユーラシアのトルコ系政権、東アジアでの遼・宋抗争、日本の武士団など、世界的に軍人政権が樹立。

地球環境考古学での10~14世紀の気温上昇に関係あり?

十字軍初期は宗教的情熱、後期は世俗的利害という通説はむしろ逆、第四回でのビザンツ宮廷クーデタへの介入は偶発的で、第一回でも諸侯の領地・戦利品、商人の商圏拡大、農民の負債帳消しと身分的自由への期待という動機が大きい。

その熱狂も12世紀初頭には下火になっていたが、それが聖戦思想に突き動かされて続行される(ルイ9世など)。

「最初の近代人」で理性的平和的に十字軍を遂行したと言われるフリードリヒ2世の基盤となったノルマン・シチリア王国の近代的官僚制統治はやや誇張されており、実際には異なる行政制度のモザイク。

1282年シチリアの晩鐘は、フランスが地中海支配の主役を降り国内統一へ向かい、代ってスペインが進出、国際政治が宗教的情熱の上に立つのを象徴する事件、中世的聖戦理念は失われ、ヨーロッパ内部の宗教改革へ。

ビザンツ聖像禁止令は、イスラムからの批判を意識して出されたものではなく、修道院領の没収が目的、その後聖像復活決定の後にイスラム勢力の反発。

むしろイスラムがビザンツから影響を受けたことになる。

 

 

 

7.ヨーロッパ近世史

かつて主流だった、大塚久雄の「大塚史学」、イギリス資本主義の先進性の原因を探るという問題意識から、「中間的生産者層」が市場圏を拡大し、ブルジョワ革命を遂行、「問屋制手工業」ではなく「工場制手工業(マニファクチュア)」、商業より生産構造重視する見方。

「地理上の発見」は消えたが、「大航海時代」は適切か、すでに完成されていた交易ネットワークにヨーロッパ勢力が遅れて加わっただけではないか。

価格革命のインフレ説はもう成り立たず、イタリア都市の衰退も急激に起こったものではない。

16世紀ヨーロッパで原因不明の人口増加、拡大した需要に対応して、バルト貿易で穀物・鉄・木材・ニシンなどを押さえたオランダが覇権を握る。

ルネサンスの概念が広すぎる、自由・民主など近代精神の根本的起源との評価はさすがに無くなってきているが。

ラテン語古典から直接ギリシア語古典に当たれることになったことは重要、だがそれを可能にしたイタリア都市を中心とするなら、ルネサンスを中世の項目の最後に入れ、イタリアのみの記述にすればよいのではないか、との提案に意表をつかれる。

地中海貿易がポルトガルの活動によって即衰退したのではない、オスマン朝のエジプト征服による中東の安定とその商業規制の緩さによって現状維持には成功している。

ポルトガルは1622年サファヴィー朝によりホルムズから追放されペルシア湾制海権を喪失、香辛料貿易は衰退、代ってオランダが香辛料の原産地そのものと日本産出の銀を手に入れ覇権奪取。

宗教改革の記述ではキリスト教の教理に深入りし過ぎ、国家と教会との関係により重点を置くべき。

マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、プロテスタンティズムが現状では宗教的基礎の無い禁欲を経て功利主義的現世観に成り果ててしまっているという現代社会批判が込められていたのに、日本ではそれを無視して、「プロテスタント=善、カトリック=悪」の図式がまかり通っている、との指摘は面白かった。

なお、ウェーバー論文は古典だが、歴史学の専門論文ではなく、必ずしも実態に合っていない、ピューリタンは王政復古後のイギリスで主流になり得ず、オランダでも自由・利殖に寛容なアルミニウス派は否定され、グロティウスは投獄・亡命。

国家と教会との関係では、教皇庁から一国全体の教会の自立を成し遂げたイギリスが最も宗教改革らしい改革との評価。

17世紀に対内的統一と対外的自立性を持つ主権国家が確立、それが18世紀後半から19世紀にかけてより中央集権的で精神的一体性も兼ね備えた国民国家に移行。

絶対王政国家は主権国家の中で相対的に王権が強いものだが、それでも国民国家よりは中央集権的ではない。

「中核国」=政治体制にかかわらず商工業・金融分野でグローバルな資本主義体制推進の中心となる国・地域。

オランダ⇒イギリス⇒アメリカと推移。

この場合17世紀前半オランダ、17世紀後半フランスとしたいところだが、政治的覇権とは違った概念だから、フランスは入れない方がいいのか?

イギリス革命について、ブルジョワ革命か否かという視点はもはや意味が無い、諸階層間に明確な利害対立軸が見られず、結局、反仏反カトリック世論が最終的に英蘭同君連合を誕生させたという国際関係の視点が重要。

 

 

 

8.ヨーロッパ近代史

「市民革命」という語が教科書から消えつつある。

ブルジョワジーと貴族、封建制と資本主義の闘争という見方への留保から。

現在では産業革命の項目が米仏革命より前に置かれていることが多い。

ブルジョワ革命が産業革命の前提と見なされなくなった。

問屋制・工場制手工業についても言及少ない。

イギリスで産業革命が始まった理由や経過よりも、「世界の一体化」という視点から産業革命を見る。

「二重革命論」=英仏を一体化して見、英産業革命と仏革命が近代世界を形成すたとする。

「環大西洋革命論」=18世紀後半から19世紀前半にかけて大西洋両岸で自由主義的改革が行われたとする。

(私が持っている価値観からすれば、以上二つの見方は疑問を感じる。)

19世紀イギリスで産業資本家が完全に権力を掌握したことはない、伝統的貴族と大地主が依然支配層を形成=「ジェントルマン資本主義」。

アメリカ合衆国独立について、北米を特別な植民地とするのではなく、他の中南米植民地と同様に扱い、最も成功したクリオーリョの革命とするのが自然だ、との記述には目が覚める思いがした。

独立宣言ではジョージ3世を攻撃しているが、王政自体には必ずしも批判を加えず、フランス等への配慮と本書ではしているが、果たしてそれだけか?

フランス革命は貴族とブルジョワの対立から起こったというより、ブルジョワ的意識を持った貴族が推進役、ミラボー伯爵、ラファイエット侯爵、タレーラン司教の、それぞれの肩書きを取って紹介してきたことがおかしい。

経済構造が政治的意識を決定するというマルクス主義では説明がつかない。

「自由と平等」のための大量殺人を正当化する言説が誕生した、との指摘には感心した。

ギルド・荘園など社団が消滅、対外戦争とナショナリズムによる一体感から、媒介を経ずに個人と国家が直結する国民国家成立。

国教カトリックと国家の闘争は、「革命暦」などのみで記述が少ないが、結局以後のフランスにとって最も大きな影響を受けたのが、この非宗教性=「ライシテ」ではないか、としている。

「フランス本国よりソ連のほうがフランス革命をたくさん教えている」(ブローデル)との言葉を紹介した後、典型的市民革命としてフランス革命をこれほど詳しく教える必要はなし(バスティーユ襲撃や封建的特権廃止宣言は日付まで書いてある)、教科書の分量も減らしては、と書いてある。

ウィーン体制は1970年代から学会では再評価されてきた、平和と秩序を実現したEUの先駆とも言われ、奴隷売買禁止という成果も挙げた。

大きな戦争が無く、民衆のナショナリズムが抑えられていたことにより、民族紛争も抑止されていた時代という評価を教える必要がある。

なお中南米独立をウィーン体制への反抗とするのは無理であり、ナポレオン戦争・大陸封鎖令による自立化と黒人主体のハイチ革命へのクリオーリョの恐れが独立に繋がり、それを市場拡大を図る英米が支持し実現。

中南米における利益共有が19・20世紀の米英協調を準備したとの評価。

ロシア・東欧=「後進的」というイメージの偏り、ロシアの「上からの改革」は他国、例えばイギリスと同じであり、限界性だけを強調するのは正しくない。

東欧の民族独立運動、往々にして他の民族への抑圧を引き起こしがちでもある(東欧だけでなく)。

 

 

 

9.アジア近代史

インド反英運動での大衆的ナショナリズムがヒンドゥー中心となり、ムスリムや不可触民との衝突激化、ナショナリズムが持つ排他性に注意が必要。

アヘン戦争は広東に対外貿易を集中させ財源とする重商主義政策を採る中央政府とそれに反抗する地方(一部はヨーロッパと結ぶ)の対立という構図。

軍事的にはイギリスが圧倒的とは言えず、中央政府の内部分裂から敗北。

日本の開国、イギリスが戦費負担等コストを避けるために極端な強硬策を避け、日本側も幕府が交渉能力を発揮、租界を置かせなかった、行き過ぎた明治礼賛はおかしい、幕府の不平等条約の負債を強調する見方は当たらない。

洋務運動の限界は中体西用論にあるのではなく、挙国体制の不在。

タイのチャクリ改革は国王権力による主体性確保によって独立維持に成功。

帝国主義の原因は経済的なものとは限らず、より複合的なもの。

その目標となったのはアフリカ・東南アジア・オセアニアの三地域で、オスマン・イラン・中国は主権自体は維持、インドは唯一例外だが、アジア諸帝国は一応存続している。

ただアジアの交易ネットワーク参入に過ぎなかった大航海時代と違って、ヨーロッパが一方的優位にあったことは事実。

 

 

 

10.20世紀の歴史

ファシズムの解釈。

単なる権威主義国家ではなく、大衆的運動と結びつき、国民の合意を取り付けようとした国家。

ナチスの訳語が「国家社会主義ドイツ労働者党」から「国民社会主義ドイツ労働者党」に変わってきている。

高校生の頃は、後者の表記に違和感があり、「こんな極右政党に“国民”なんて付けるのはおかしいじゃないか」と思っていたが、今思うとそう書くべきかなとも思う。

社会主義に批判的記述の教科書も増えてきているとあるが、しかし民主主義を批判する射程にまでは(残念ながら)まず達しないでしょう。

ファシズム(と共産主義)は民主主義が生みだしたものです。

 

 

 

 

やっと終わった・・・・・。

目に付いた所を適当に抜き書きしただけだが、疲れました。

概説書の中で時々紹介されるような、新しい学説がぎっしり詰まったおいしい本。

立ち読みや読み始めの時に感じた程のテンションは、途中から得られなくなったが、それでも充分高評価だ。

是非手に取って頂きたい本です。

羽田正 『新しい世界史へ  地球市民のための構想』 (岩波新書)

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現行高校世界史は、各地域世界が主にユーラシアを中心に形成されることをまず記述、古代西アジアが地中海とイスラームに分離、地中海がヨーロッパとなり、他に南アジア、東南アジア、東アジアがユーラシアに存在し、アフリカ、古アメリカと並立、それらが19世紀以後西洋により一体化するという形式を取っている。

戦前の歴史教育では、西洋史で先進諸国に学び、国史で国民的自覚を育成、東洋史でアジアを指導する観点を得る、という目的意識があった。

戦後すぐの世界史教育では、近代西洋に学ぶ姿勢が強調され、それとアジアとの二項対立を想定、アジア内部で複数文化圏を想定せず一体視していた。

その後の学習指導要領で「文化圏」ごとの記述が推奨されたが、前近代、「世界の一体化」前の時期において、当初はヨーロッパ、東アジア、西アジアのみが項目立てされ、南アジア、東南アジアは明示されず。

上原専禄『日本国民の世界史』(これ自体は検定不合格教科書)が複数の文化圏(東アジア、インド、西アジア)を東洋に想定したのが先駆。

それから「地域世界」という概念が登場してくる。

これは東南アジアのように東アジア・南アジアの影響を受け、一つの文化圏とは言いにくいところの歴史を描くのに有効であった。

さらに、内陸アジア世界、大西洋世界なども用いられるようになる。

以上、戦後世界史教育の変遷をまとめると、西洋と東洋の対比(前者の優位性を前提にした)⇒複数「文化圏」の確立からヨーロッパ「文化圏」による一体化⇒複数の「地域世界」の成立と変容・再編を経て「ヨーロッパ世界」による一体化、ということになる。

ある地理的空間は有史以来一貫して存在するという考え方に対して、「地域世界」は変容・再編すると考えられるようになった。

 

 

 

続いて現行世界史の特徴と問題点を(他国と一部比較しながら)高校教科書から指摘。

1.日本人から見た世界史。

これはフランスでも同様で、フランス周辺の地域とギリシア・ビザンツ・キリスト教の記述中心で、時系列に沿った通史的記述ではなく、トピックを適宜取り上げて解説する形式。

ビザンツやイスラームはすでに存在する文明として突然現れる。

ヨーロッパ諸国ではアジアなど非ヨーロッパの歴史は自国の過去と関係しない限りほとんど教えられない(英のインド、蘭のインドネシアなどがその例外となる)。

一方、中国の教科書は時系列説明という意味では日本に近い。

「前工業文明」(前近代全般?)、「封建文明」(中世?)、工業文明という耳慣れぬ時代区分が行われている。

「イスラーム世界」単位の記述はなく「アラブ文明」との用語が用いられているが、国家の一体性維持への為か。

世界史では自国の中国史は一切扱われず、例えばインドの植民地化のところでもアヘン戦争の記述はなし。

2.国民国家を前提にし自他を区別し現状を追認する歴史。

これは特に書くことなし。

3.ヨーロッパ中心史観。

相対化されてはいるが、依然残る。

一部のメイン・ストーリーに合致する国がヨーロッパとされている。

ユーラシア西方と地中海周辺部のみ、ある時点で時間的に前後に分断される(古代オリエントと地中海世界⇒イスラームとヨーロッパ)。

イスラーム世界も地理的空間と言いにくい。

ヨーロッパとイスラームのみ他の地域世界と異質。

ヨーロッパ内部の多様性も無視されがちである。

それに対して、地球市民の立場からの世界史のために、著者の諸提案。

中心性の排除と関係性の発見。

ヨーロッパ中心主義だけでなく、イスラーム、中国、日本中心主義も退ける。

「進歩」と同義の「ヨーロッパ」という言葉より、西方(西部)ユーラシアが中立的で望ましい(ユーラシアもヨーロッパ+アジアが語源ではあるが)。

ヨーロッパという言葉を使用すべきではないというのではないし、ヨーロッパに帰属する人々が自らの歴史を描くのは自由であり権利だが、それが特権的概念の歴史にならないようにすべき。

イスラーム世界も中国世界も均質的一体ではない。

ウォーラーステインの世界システム論=17世紀ごろヨーロッパと南北アメリカの経済圏が形成され、「中核」と「周縁」地域が誕生、これがそれ以前の社会と違うのは、文化的政治的に統一されておらず、システムの統一性を保つ原理が資本主義という経済のあり方であること。

著者はこれも別種のヨーロッパ中心主義に近いとして否定、「周縁」が主体的に資本主義を自らに合う形で選択した面もあるとする。

海域世界など国民国家の枠外の史観も提唱。

法の支配、民主主義、平和追求、正当な勤労報酬と両立する自由市場などの価値を前提に、ある時期の人間集団を横に並べて比較、モデル化して相違点と共通点を指摘し、世界の見取り図を描く。

時系列にこだわらず、連続的通時的に理解して現代につなげようとはせず、相互影響を重視する横につなぐ歴史を意識する。

国単位の通史ではなく、ある時代の世界の横断的様相を、前近代では例えば100年単位で観察する方法。

 

 

 

私は国民国家は基本的に乗り越え不可能な制度だと考えているので、こうした考え方には懐疑的になってしまう。

粗野・低俗・野蛮な(現在の日本のような)ナショナリズムが暴走することを防ぐために、ナショナルなものを前提にしたインターナショナリズムは大いに推奨されるべきではある。

しかし、本書のようなコスモポリタニズムは採るべき道ではないと思う。

同じ岩波新書の類書『教科書の中の宗教』が圧倒的に面白かったのと比べれば大分落ちる。

戦後日本や他国の世界史教育の具体例は興味深いが、全体的にはもう一つでした。

桑原武夫 監修 『西洋文学事典』 (ちくま学芸文庫)

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1954年福音館書店から出版された文学事典を2012年復刻文庫化したもの。

巻末の沼野充義氏の解説によると、本書の特徴として、

(1)当時の常識に従い、「西洋文学」=「世界文学」として捉えられていること

(2)重点を近現代、特に20世紀に置く、革新的方針を採っていること(刊行当時はカミュもヘミングウェイも存命中の同時代作家だった)

(3)作家事典だけでなく、作品事典も兼ねており、あらすじと鑑賞について、明快で説得力のある記述が盛り込まれていること

(4)記述スタイルに明快さと一貫性があること

(5)当時の「カノン(正典)」に縛られた側面(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ文学の欠如)と当時としては斬新な側面の両方があること

が挙げられている。

このうち、沼野氏は(3)の作品解説が本書最大の「売り」になっていると書いているが、私も同感です。

簡潔ながら要領が良く、未読作品の場合、読書意欲をかき立て、既読作品の場合でも、鑑賞・評価を再考させてくれる。

もちろん、刊行が古い分、首を傾げる記述もある。

例えば、ゴーリキーの項などは、時代背景を考慮しても、ちょっと眩暈がしてくる代物ではある。

また戦後間もなくの漢字制限・簡略化の風潮からか、「ヒニク」「タイハイ」「ドレイ」「ガイセン」「ダラク」「ボクトツ」「ギセイ」など、妙なカタカナ表記が散見される。

そうした瑕疵はありつつも、文学初心者にとっては、貴重で有益なツールとして今でも通用する本だと思われる。

大部の文学事典などを買うのは躊躇するが、コンパクトなこれなら、買って手元に置いておいても良い。

一度手に取ることをお勧めします。

池田嘉郎 上野愼也 村上衛 森本一夫 『名著で読む世界史120』 (山川出版社)

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『もういちど読む山川世界史』および『同 日本史』と同じような装丁の本。

『ギルガメシュ叙事詩』からホメイニー『法学者の統治』まで、教科書的な章分けで、120の名著が挙げられる。

各書は、作者、内容紹介、解説の三つによって述べられている。

ざあーっと飛ばし読みしてみたが、あんまり良くない。

悪い意味で教科書的で、あまり読書意欲をかき立てるような文章ではない。

強いて買う必要もない。

高橋秀樹 三谷芳幸 村瀬信一 『ここまで変わった日本史教科書』 (吉川弘文館)

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この手の歴史教科書の記述の新旧を比較した本の類書はいろいろ出ていると思うが、中には雑学風で信頼性の低いものも多い気がする。

本書は2016年刊と比較的新しいのと、著者三名がいずれも実際に文部科学省の教科書調査官を務めていたことからして、相当レベルは高い方だと思う。

内容は原始時代から現代史まで万遍なく。

興味深い記述が多く、図書館にあれば借り出して一読することを薦める。

なお、世界史関連の類書として『世界史をどう教えるか』(山川出版社)、倫理関連では『教科書の中の宗教』(岩波新書)を紹介しておきます(どちらも最高に面白い)。

 

奈良時代になっても、王族や貴族は、屯倉・田荘のような古い形態の私有地を所有し続けていたらしいのであり、大宝律令制定の時点で、「公地公民制」なるものが本当に実現していたのかどうか、疑問が出てきたのである。従来は、墾田永年私財法によって「初期荘園」が乱立するまでは、「公地公民制」のもとで、王族・貴族の私有地はほとんど存在しなかったと考えられていたが、その見方は再考を迫られることになった。また、大宝律令の制定で律令体制が完成したとする考え方にも、より強い疑問が投げかけられるようになった。

一方、天平時代を律令体制の崩壊の始まりと位置づける捉え方には、墾田永年私財法の意義という点から、疑問が突きつけられた。私財法は、単に墾田の永年私有を認めるだけではなく、位階によって墾田の所有面積に制限を設け、さらに開墾に地方官の許可を必要とすることも定めていた。私財法によって、身分に応じた墾田所有の規制が可能になるとともに、開墾の公的手続きも明確になったのである。また、墾田は口分田と同じく、国家が作成する田図に登録され、租を納めるべき輸租田とされたのであるから、墾田の増加は国家が支配する土地の拡大であるともいえる。こうした点を考えると、律令国家による土地支配は、墾田永年私財法によって、むしろ強化されたと評価できるのではないか。このような見方が、現在では有力な説のひとつとなっているのである。

もちろん、墾田の永年私有が認められ、班田収授制の枠外の土地が広がることは、律令体制の大きな変更である。しかし、田図に登録して土地を管理する体制は、たしかに墾田永年私財法を契機として整備されており、天平時代以降、律令国家の支配が深まったという側面は否定できない。近年の教科書の多くは、このような時代認識を踏まえて書かれており、私財法をきっかけとして、天平時代以降、律令体制が崩壊していくという記述は、すでに一般的なものではなくなっている。かつての教科書では、墾田永年私財法は、「土地制度の崩壊」「律令体制の動揺」といった見出しのもとに語られる場合があったが、もはやそのような例は見当たらない。現在の教科書には、新たな時代認識にもとづいた、新たな律令体制の展開過程が描かれているのである。


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