著者名欄が今までで一番長いですね(たぶん)。
2008年刊。
高校世界史の先生が、近年の歴史学の研究動向によって教科内容が変化した事例を、分野ごとに挙げていく本。
古代オリエント、古代ギリシア・ローマ、インド・東南アジア、東アジア・内陸アジア、イスラーム、ヨーロッパ中世、ヨーロッパ近世、ヨーロッパ近代、アジア近代、20世紀の歴史、の全10章。
「はじめに」で全体の概観。
(1)マルクス主義的発展段階論の失効。
古代・中世・近代などの語句は、古代オリエント、中世ヨーロッパなど地域限定で用いられるのみ。
この時代区分を世界のあらゆる地域に適用することはもはやなくなった。
ヨーロッパ史の区分を普遍的に適用はできない。
(2)政治史中心から社会史重視へ。
(3)国民国家の相対化。
一国史記述への反省。
(4)「人種」概念の有効性失効。
1.古代オリエント史。
オリエント史の範囲が拡大。
エーゲ文明やパルティア、ササン朝も含めるようになった。
ただし元の構成に戻った教科書もあり。
ヒッタイトの製鉄術発明は、製鉄自体の遺跡は見つかっておらず、鉄製品も少なすぎるので、疑問視する意見もあり。
ペルシア湾古代の海岸線は内陸部に入り組み、ウル・ウルク・ラガシュなどは海に近く、それが土砂の堆積で変化したとされてきたが、実際には現在と同じではないかという説。
支流や沼沢・湖を通じてペルシア湾と連絡していた。
シュメールよりシュメル、スメルの方がアッカド語原音に近いが、日本の国粋主義者が「スメラミコト」とこじつけないように戦前のオリエント学者があえてシュメールとしたとの伝聞あり。
シュメール滅亡は、アッカド人による征服の他、土壌の塩化による内部崩壊の要因もあり。
オリエント王は神官王(プリースト・キング)でエジプト王ファラオは現人神(ゴッド・キング)との説は現在では否定され、王権はエジプトでも神的で永遠だが、王個人は神に従属する存在とされていた。
ピラミッドはヘロドトスが墓としているのが広まったが、「王の権威や権力を象徴するもの」という書き方で、墓とする表現は教科書に見られなくなっている。
一種の神殿とも取れるが、墓の定義次第か。
世界帝国前のアッシリアの扱いが増えた。
前二千年紀初頭建国、ミタンニに服属。
メソポタミアの内、北部はアッシリア、南部はバビロニア、双方ともセム系アッカド語、諸方言としてアッシリア語があるが、古バビロニア語はハンムラビ法典などの史料が多く、結果アッシリアよりバビロニアを優位視する史観が成立。
最高神アッシュル(土地の神格化)が一貫して地位を占めるが、これがアッシリア国家長寿の理由か。
オリエント世界の共通語がアッカド語からアラム語に変わる。
統一アッシリアはこの変化に適合し、現地語主義や異文化理解を進め、通説とは異なり、残酷・抑圧的支配ではない、むしろ新バビロニアの方がそう言える。
アッシリア滅亡後の四国対立時代、リディアはアッシリア最大版図の外にあり、アッシリアから独立したのではない。
インド・ヨーロッパ語族の移動の意義を強調し過ぎるのは、恣意的・イデオロギー的で、はっきり言えばナチ時代の影響すら見られる。
アケメネス、ダレイオスはギリシア語だが、ハカーマニシュ、ダーラヤワウはいくら原語発音主義が進んでも、定着しないですね。
ギリシアは自由で個人尊重、ペルシアは専制主義で悪という決め付けは教育現場ではなくなったかと思うと書かれているが、いやーなくなってませんよ。
2.古代ギリシア・ローマ史
バナール『黒いアテナ』=古代ギリシアに対して黒人系エジプト文明とセム系フェニキア文明が決定的影響を与えたという説だが、批判も多い。
ミケーネ文明はドーリア人や「海の民」侵入によるものではない。
「海の民」はペリシテ人としてパレスチナに定住。
ギリシアへの侵入者ではなく、内部崩壊したギリシアから流出した集団が「海の民」。
ポリス以外に諸集落がゆるやかな枠組形成した国家=エトノスが存在。
ポリスがギリシア史の全てではない。
ポリスは都市国家というより、領域を持たない、市民団こそがポリスの実体。
アルファベットは商業上の必要ではなく、ホメロスの作品を固定化するためという説が有力。
集住(シノイキスモス)があったのか疑問視される。
その史料となった前4世紀アリストテレス、後1世紀プルタルコスが、250年前・600年前の社会について的確に理解できたか疑問。
僭主政=民衆の支持を得て非合法に政権奪取したものとされるが、最近では貴族間の激化した抗争を収拾する為に生まれたとの説がある。
衆愚政治とはバイアスのある表現だと書かれているが、しかしこれ自体現代的偏見では?
ヘレニズム時代のギリシア化は過大視されている、ドロイゼンの主張自体、帝国主義時代の思潮を背景にしていた。
ローマ帝国主義論争=必ずしも防衛的帝国主義とは言えないローマの膨張、指導層の軍事的成功への志向と平民の経済的利益への期待、同盟国との結合強化と親ローマ的指導者との利害一致。
「小さな政府」のローマ帝国=地方行政への委託、軍隊による行政代行。
帝国の急激な没落という伝統的説に対する「古代末期」説=200年~7世紀まで、新たな文化、思考様式、心性、社会規範が形成された時代。
ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ』の影響。
ピレンヌ・テーゼ=西ローマ帝国崩壊ではなくイスラム進出が地中海経済の衰退をもたらし、中世世界を形成した。
後期帝政においても都市は没落せず、地中海世界の一体性保持、フランクもローマの制度・人脈利用、476年西ローマ滅亡は当時の人々の意識では東帝国ゼノン帝による帝国再統一に過ぎず。
クローヴィスらゲルマン諸王も東ローマより称号・官職を授かり、東ローマ皇帝名で貨幣鋳造。
ユスティニアヌス帝の征服がむしろ国土荒廃をもたらす。
アラブ人征服後も実際は地中海交易は消滅せず、ローマはイスラムが継承、価値が低下したヨーロッパは無視され、直接支配されず。
3.インド・東南アジア史
カースト制について。
英統治下で一元的法制度導入、その中で利益関係から様々なジャーティが属するヴァルナを自己決定、例えば純粋なクシャトリヤは消滅していたはずなのに、カースト単位でクシャトリヤを名乗るような例あり。
(不可触民を除いて)ヴァルナは実際には出生では決定されず。
カースト制が古代からずっと同じ形で続いてきたのではない。
現代インドはカーストよりも学歴格差などが顕著で都市中間層が欧米的生活を営む多様な民主主義国家となっている。
ヒンドゥー教は一つの宗教というより、日本人の宗教意識全般のようなもので、仏教とヒンドゥー教の対立はあまり強調されなくなった。
南インドの重要性=「海の道」から。
大航海時代も、元々重要だった「海の道」にヨーロッパ勢力が加わっただけ。
東南アジアで、辺境・周辺ではなく海洋交易の中心として繁栄した港市国家。
以前はマルクス主義的な生産力重視論、消費軽視の観点から、主要農産物ではなく嗜好品を産する東南アジア軽視傾向があったが、しかしそれを支配したオランダが覇権を握った意味は重い。
英蘭戦争も、その後の名誉革命による同君連合まで考えれば、オランダの敗北とまで言えず、北米ニューアムステルダム喪失は重要な砂糖生産地南米スリナム獲得で埋め合わされ、日本貿易も独占している。
最近の教科書では東南アジアの現状中心に教える観点から、アンコール・ワット、ボロブドゥール遺跡に代表されるような古代文明の記述は少ない。
これは植民地をベースに現在の国家が形成されたことからしてやむを得ない。
主要農作物生産が貧弱なゆえに植民地されたのではなく、商品作物が豊かだったからこそ植民地化されるのが早かった、と解釈すべき。
4.東アジア・内陸アジア史
黄河文明ではなく中国文明という呼び方が増えているが、長江文明という語は定着せず、別な文明起源一元論に陥る危険あり。
夏王朝は王権形成期、中国ではすでに最初の王朝と認められているが、殷の甲骨文字のような同時代文字史料によって論証されるべき。
ウルス=人間のかたまり、「国」ではない。
遊牧民連合体が指導者の出身集団の名をとって、例えば「モンゴル」とされる。
匈奴がトルコ系かモンゴル系かという議論に大きな意味はない。
教科書から「オゴタイ・ハン国」が消えた。
遊牧ウルスを持ち、領域内の都市を含めて支配した王家の当主の存在をもって、「ハン国」とされる。
ハイドゥとその子チャパル支配地域がオゴタイ・ハン国とされたが、オゴタイ家は内陸部で遊牧生活を送り、都市支配権は大カアンが持っていた時期があり、その後反乱を起したハイドゥが都市も掌握したが、史料上は「ハイドゥの国」でありオゴタイ・ハン国ではない。
チャパル時代にチャガタイ家に領域を奪われ、チャガタイ・ハン国成立。
つまり、オゴタイ、チャガタイ両ハン国が並立したのではなく、「ハイドゥの国」が滅ぼされチャガタイ・ハン国に取って替わられたということ。
モンゴル人第一主義も、蒙古・色目・漢人・南人の四人種区分も実態に即さないとして消えつつある。
明清史を従来の中国史内部のみの枠組で捉えるのではなく、外部世界とくに海を通じた交流と冊封関係を重視する見方が増える。
5.イスラーム史
キリスト教・仏教は「先進的・柔軟・寛大・自由・平和的・弱者保護・理解し易い」、イスラムは「後進的・厳格・異質な考えを認めない・結束力が強い・奇妙・不自由・攻撃的・えたいが知れない・理解しにくい」イメージ。
『教科書の中の宗教』参照。
表記の変化。
マホメット⇒ムハンマド、イスラム⇒イスラーム、アウランゼーブ⇒アウラングゼーブ、スレイマーン1世⇒スレイマン1世。
アラビア語が普遍語であるから、コーランもクルアーンに、メッカもマッカにいずれ書き改めるべき。
しかしインドネシアのサレカット・イスラームは現地発音ではイスラムに近い。
必要以上に神経質になったり、末梢的知識に振り回されないようにもするべき。
かなり以前からオスマン・トルコはオスマン帝国に変えられている。
支配層はトルコ系に限られず、トルコ人=アナトリアの農民を蔑んで呼ぶ呼称でもあったので。
さらに古い言い方でイスラム帝国全体をサラセン帝国と呼ぶこともあった。
これもアブラハム(イブラヒム)の妻サラ、アラビア半島の地名サラカ、東方を意味するペルシア語シャルクなど語源には諸説あるが、不明。
ヨーロッパからイスラムを指す侮蔑的表現なので現在はほとんど使われず。
スルタン=カリフ制は、さすがにかなり前から教科書では留保付きで載るだけになっている。
オスマン朝はカリフ承認を必要としておらず、むしろ二大聖地保護権の方が重要。
しかし19世紀衰退期に入るとオスマン朝自身がそれを主張するようになる。
6.ヨーロッパ中世史
教科書表記の変化、ゲルマン民族、ゴート族⇒ゲルマン人、ゴート人。
商業・社会・生活上の用語が多く。
ピレンヌ・テーゼ=ローマ崩壊ではなくイスラム進出が契機となって中世封建社会が成立した、その後、ヴァイキングが欧州の外側(大西洋・地中海・東欧)を囲み、11世紀に商業の復活。
一方、この見方への訂正の動きもあり。
イスラム以前のメロヴィング朝での関税収入が過大評価されているのではないか、イスラム進出後もヨーロッパの通商は阻害されていないのではないか、カロリング朝でも地中海貿易は盛んで、当時の金貨から銀貨への移行も貿易減少によるものではないのではないか、等。
教科書ではピレンヌに倣ってカロリング期を中世の開始期とする記述もあるが、多くはこの時代を「分水嶺」とはしていない。
ユダヤ人、スラヴ人、スカンジナビア人による西北ヨーロッパとイスラム圏との通商ルートという、今まであまり注目されていなかった経済的繋がりもあり。
ピレンヌ・テーゼは経済史的には否定されたが、文化的文明史的にヨーロッパ中心主義を克服した功績あり、中世成立にはイスラム、ビザンツ、ノルマンという外的要素が不可欠だった。
11世紀中世盛期、ヨーロッパだけでなく、中央ユーラシアのトルコ系政権、東アジアでの遼・宋抗争、日本の武士団など、世界的に軍人政権が樹立。
地球環境考古学での10~14世紀の気温上昇に関係あり?
十字軍初期は宗教的情熱、後期は世俗的利害という通説はむしろ逆、第四回でのビザンツ宮廷クーデタへの介入は偶発的で、第一回でも諸侯の領地・戦利品、商人の商圏拡大、農民の負債帳消しと身分的自由への期待という動機が大きい。
その熱狂も12世紀初頭には下火になっていたが、それが聖戦思想に突き動かされて続行される(ルイ9世など)。
「最初の近代人」で理性的平和的に十字軍を遂行したと言われるフリードリヒ2世の基盤となったノルマン・シチリア王国の近代的官僚制統治はやや誇張されており、実際には異なる行政制度のモザイク。
1282年シチリアの晩鐘は、フランスが地中海支配の主役を降り国内統一へ向かい、代ってスペインが進出、国際政治が宗教的情熱の上に立つのを象徴する事件、中世的聖戦理念は失われ、ヨーロッパ内部の宗教改革へ。
ビザンツ聖像禁止令は、イスラムからの批判を意識して出されたものではなく、修道院領の没収が目的、その後聖像復活決定の後にイスラム勢力の反発。
むしろイスラムがビザンツから影響を受けたことになる。
7.ヨーロッパ近世史
かつて主流だった、大塚久雄の「大塚史学」、イギリス資本主義の先進性の原因を探るという問題意識から、「中間的生産者層」が市場圏を拡大し、ブルジョワ革命を遂行、「問屋制手工業」ではなく「工場制手工業(マニファクチュア)」、商業より生産構造重視する見方。
「地理上の発見」は消えたが、「大航海時代」は適切か、すでに完成されていた交易ネットワークにヨーロッパ勢力が遅れて加わっただけではないか。
価格革命のインフレ説はもう成り立たず、イタリア都市の衰退も急激に起こったものではない。
16世紀ヨーロッパで原因不明の人口増加、拡大した需要に対応して、バルト貿易で穀物・鉄・木材・ニシンなどを押さえたオランダが覇権を握る。
ルネサンスの概念が広すぎる、自由・民主など近代精神の根本的起源との評価はさすがに無くなってきているが。
ラテン語古典から直接ギリシア語古典に当たれることになったことは重要、だがそれを可能にしたイタリア都市を中心とするなら、ルネサンスを中世の項目の最後に入れ、イタリアのみの記述にすればよいのではないか、との提案に意表をつかれる。
地中海貿易がポルトガルの活動によって即衰退したのではない、オスマン朝のエジプト征服による中東の安定とその商業規制の緩さによって現状維持には成功している。
ポルトガルは1622年サファヴィー朝によりホルムズから追放されペルシア湾制海権を喪失、香辛料貿易は衰退、代ってオランダが香辛料の原産地そのものと日本産出の銀を手に入れ覇権奪取。
宗教改革の記述ではキリスト教の教理に深入りし過ぎ、国家と教会との関係により重点を置くべき。
マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、プロテスタンティズムが現状では宗教的基礎の無い禁欲を経て功利主義的現世観に成り果ててしまっているという現代社会批判が込められていたのに、日本ではそれを無視して、「プロテスタント=善、カトリック=悪」の図式がまかり通っている、との指摘は面白かった。
なお、ウェーバー論文は古典だが、歴史学の専門論文ではなく、必ずしも実態に合っていない、ピューリタンは王政復古後のイギリスで主流になり得ず、オランダでも自由・利殖に寛容なアルミニウス派は否定され、グロティウスは投獄・亡命。
国家と教会との関係では、教皇庁から一国全体の教会の自立を成し遂げたイギリスが最も宗教改革らしい改革との評価。
17世紀に対内的統一と対外的自立性を持つ主権国家が確立、それが18世紀後半から19世紀にかけてより中央集権的で精神的一体性も兼ね備えた国民国家に移行。
絶対王政国家は主権国家の中で相対的に王権が強いものだが、それでも国民国家よりは中央集権的ではない。
「中核国」=政治体制にかかわらず商工業・金融分野でグローバルな資本主義体制推進の中心となる国・地域。
オランダ⇒イギリス⇒アメリカと推移。
この場合17世紀前半オランダ、17世紀後半フランスとしたいところだが、政治的覇権とは違った概念だから、フランスは入れない方がいいのか?
イギリス革命について、ブルジョワ革命か否かという視点はもはや意味が無い、諸階層間に明確な利害対立軸が見られず、結局、反仏反カトリック世論が最終的に英蘭同君連合を誕生させたという国際関係の視点が重要。
8.ヨーロッパ近代史
「市民革命」という語が教科書から消えつつある。
ブルジョワジーと貴族、封建制と資本主義の闘争という見方への留保から。
現在では産業革命の項目が米仏革命より前に置かれていることが多い。
ブルジョワ革命が産業革命の前提と見なされなくなった。
問屋制・工場制手工業についても言及少ない。
イギリスで産業革命が始まった理由や経過よりも、「世界の一体化」という視点から産業革命を見る。
「二重革命論」=英仏を一体化して見、英産業革命と仏革命が近代世界を形成すたとする。
「環大西洋革命論」=18世紀後半から19世紀前半にかけて大西洋両岸で自由主義的改革が行われたとする。
(私が持っている価値観からすれば、以上二つの見方は疑問を感じる。)
19世紀イギリスで産業資本家が完全に権力を掌握したことはない、伝統的貴族と大地主が依然支配層を形成=「ジェントルマン資本主義」。
アメリカ合衆国独立について、北米を特別な植民地とするのではなく、他の中南米植民地と同様に扱い、最も成功したクリオーリョの革命とするのが自然だ、との記述には目が覚める思いがした。
独立宣言ではジョージ3世を攻撃しているが、王政自体には必ずしも批判を加えず、フランス等への配慮と本書ではしているが、果たしてそれだけか?
フランス革命は貴族とブルジョワの対立から起こったというより、ブルジョワ的意識を持った貴族が推進役、ミラボー伯爵、ラファイエット侯爵、タレーラン司教の、それぞれの肩書きを取って紹介してきたことがおかしい。
経済構造が政治的意識を決定するというマルクス主義では説明がつかない。
「自由と平等」のための大量殺人を正当化する言説が誕生した、との指摘には感心した。
ギルド・荘園など社団が消滅、対外戦争とナショナリズムによる一体感から、媒介を経ずに個人と国家が直結する国民国家成立。
国教カトリックと国家の闘争は、「革命暦」などのみで記述が少ないが、結局以後のフランスにとって最も大きな影響を受けたのが、この非宗教性=「ライシテ」ではないか、としている。
「フランス本国よりソ連のほうがフランス革命をたくさん教えている」(ブローデル)との言葉を紹介した後、典型的市民革命としてフランス革命をこれほど詳しく教える必要はなし(バスティーユ襲撃や封建的特権廃止宣言は日付まで書いてある)、教科書の分量も減らしては、と書いてある。
ウィーン体制は1970年代から学会では再評価されてきた、平和と秩序を実現したEUの先駆とも言われ、奴隷売買禁止という成果も挙げた。
大きな戦争が無く、民衆のナショナリズムが抑えられていたことにより、民族紛争も抑止されていた時代という評価を教える必要がある。
なお中南米独立をウィーン体制への反抗とするのは無理であり、ナポレオン戦争・大陸封鎖令による自立化と黒人主体のハイチ革命へのクリオーリョの恐れが独立に繋がり、それを市場拡大を図る英米が支持し実現。
中南米における利益共有が19・20世紀の米英協調を準備したとの評価。
ロシア・東欧=「後進的」というイメージの偏り、ロシアの「上からの改革」は他国、例えばイギリスと同じであり、限界性だけを強調するのは正しくない。
東欧の民族独立運動、往々にして他の民族への抑圧を引き起こしがちでもある(東欧だけでなく)。
9.アジア近代史
インド反英運動での大衆的ナショナリズムがヒンドゥー中心となり、ムスリムや不可触民との衝突激化、ナショナリズムが持つ排他性に注意が必要。
アヘン戦争は広東に対外貿易を集中させ財源とする重商主義政策を採る中央政府とそれに反抗する地方(一部はヨーロッパと結ぶ)の対立という構図。
軍事的にはイギリスが圧倒的とは言えず、中央政府の内部分裂から敗北。
日本の開国、イギリスが戦費負担等コストを避けるために極端な強硬策を避け、日本側も幕府が交渉能力を発揮、租界を置かせなかった、行き過ぎた明治礼賛はおかしい、幕府の不平等条約の負債を強調する見方は当たらない。
洋務運動の限界は中体西用論にあるのではなく、挙国体制の不在。
タイのチャクリ改革は国王権力による主体性確保によって独立維持に成功。
帝国主義の原因は経済的なものとは限らず、より複合的なもの。
その目標となったのはアフリカ・東南アジア・オセアニアの三地域で、オスマン・イラン・中国は主権自体は維持、インドは唯一例外だが、アジア諸帝国は一応存続している。
ただアジアの交易ネットワーク参入に過ぎなかった大航海時代と違って、ヨーロッパが一方的優位にあったことは事実。
10.20世紀の歴史
ファシズムの解釈。
単なる権威主義国家ではなく、大衆的運動と結びつき、国民の合意を取り付けようとした国家。
ナチスの訳語が「国家社会主義ドイツ労働者党」から「国民社会主義ドイツ労働者党」に変わってきている。
高校生の頃は、後者の表記に違和感があり、「こんな極右政党に“国民”なんて付けるのはおかしいじゃないか」と思っていたが、今思うとそう書くべきかなとも思う。
社会主義に批判的記述の教科書も増えてきているとあるが、しかし民主主義を批判する射程にまでは(残念ながら)まず達しないでしょう。
ファシズム(と共産主義)は民主主義が生みだしたものです。
やっと終わった・・・・・。
目に付いた所を適当に抜き書きしただけだが、疲れました。
概説書の中で時々紹介されるような、新しい学説がぎっしり詰まったおいしい本。
立ち読みや読み始めの時に感じた程のテンションは、途中から得られなくなったが、それでも充分高評価だ。
是非手に取って頂きたい本です。